2022年2月24日未明。砲撃が始まり、爆音が響き渡る。何が起きているのか分からないまま、作家はすぐに二人のこどもたちの腕に名前と生年月日、そして連絡先(電話番号)を記した。

 こどもたちからどうして? と訊かれると怖がらせないためにこう言う。

「遊びをしているの。戦争という遊び」

ADVERTISEMENT

『戦争日記 ウクライナの涙』より ©Storyseller

 ウクライナの絵本作家、オルガ・グレベニクさん(Olya Grebennik、35歳)による『戦争日記 ウクライナの涙』(Storyseller)の中の一節だ。

 同書は、ロシアがウクライナに侵攻する前夜からマンションの地下室での避難生活、そしてハルキウから西部の街リヴィウを経て、ポーランドのワルシャワ、ブルガリアまで逃れる過程が絵と文章で綴られた、鉛筆で描かれた “ドキュメンタリー”だ。

 4月14日、世界に先駆けて韓国で出版され、大きな反響を呼んでいる。

「戦争でも私のお誕生日はあると思う?」

 グレベニクさんはウクライナ北東部の街、首都キーウに次ぐ都市、ハルキウで生まれ育った。夫、9歳の息子と4歳の娘、実母、そして犬と猫と暮していた。

部屋にある2つの耐力壁の間に居場所を作ってみたが、結局は地下室へ(同前) ©Storyseller

 ロシアがウクライナに侵攻する前夜、こどもたちが眠りについた後、グレベニクさんは夫とふたり久しぶりにゆっくりと語らった。ささやかだけれど穏やかな日々の話。

 翌朝、ロシアの侵攻が始まり砲撃音が轟く中、一家はマンションの地下室に避難する。荷物には、鉛筆とノートも入れた。地下室から始まった避難生活を支えたのは、「絵を描くこと」だった。

「文字と絵は持てる力をすべてだして掴んでいた藁だった」(『戦争日記 ウクライナの涙』)とグレベニクさんは著書で語っている。描くことで恐れを振り払ったという。

 こどもたちは屈託がない。地下室では友だちもできた。一緒にチェスをしたり、壁に絵を描いたり。

「こどもたちは砲撃音を聞きながら『平和』と描いている」(同前)©Storyseller
地下室のチェスクラブ(同前)©Storyseller

 幼い4歳の娘は、避難生活でもパンをいつものように残してしまう。普段ならパンの欠片を集めたものを家の近くにあった自然研究所にいる動物たちに渡していたが、今は貴重な食糧となった。

 こどもたちの会話が聞こえてくる。

「戦争が終わったら最初に携帯を買うの?」

「戦争でも私のお誕生日はあると思う?」(同前)

 4歳の娘さんの誕生日は7月19日だという。