野球ができない……根尾がピンチの親友に送ったもの
プロと学生野球。進んだ道は違うが、思い悩み壁にぶつかるのは若人の宿命だ。根尾は、親友・西川さんのピンチを救ったことがある。2020年3月、西川さんが通う朝日大は、野球部員が逮捕される事件が起き、後に不起訴となったが同部は一時、無期限で活動停止となった。
「いつ野球ができるか分からない。憤りと無力感でいっぱいでした。もう野球を辞めないといけないかもと……」。寮の前で素振りしかできない日々。今まで当たり前にあった野球が奪われ、目の前が真っ暗になったとき、突然、寮に大きな荷物が届いた。
中身は7本のバット。差出人は根尾昂。心が折れかけ、大学野球を諦めかけた親友に、根尾は「今はやれることをやるしかない。野球はできることなら続けた方がいい。諦めずに頑張れ」。粋なメッセージとともにバットを送って励ました。根尾に一度、このときの話を聞いたことがある。
「たいしたことじゃないです。自分ができることをしただけです。だって、頑張って欲しいから」
友を思う気持ちに、記者は純粋に心を打たれた。
西川さんの心もまた、根尾のプロでの活躍とともに変わった。記者と西川さんが出会ったとき、将来について「根尾のトレーナー、そういう系の仕事に就けたらいい」。そう話していた。決して軽んじてる訳ではなかったが、どこかふわっとした回答だった。
でも今は違う。根尾はもちろん、同じ飛弾高山ボーイズ出身の中日・垣越建伸や、高校2年の台湾遠征で知り合った巨人・横川凱、日本ハム・柿木蓮、ロッテ・藤原恭大など同学年から刺激を受けた。
「今までの僕は、根尾ありきの西川だった。でも今は大きな目標がある。社会人に行って、都市対抗や大きな大会で活躍して『西川ってすごいやつもいるぞ!』っ知ってもらえるようになることです。アキラ、俺、野球続けるよ。アキラに負けないように頑張るよ、って伝えたい」
現在、西川さんは社会人の地元強豪チームで野球を続けるため、絶賛“就活中”。岐阜の春季リーグで首位打者を争いアピールを続け社会人からのオファーを待っている。記者も、大学4年生のとき、大手旅行会社に内定。内定式3日前に「やっぱり新聞記者になるんだ」と、丁重に断りの電話をいれたつもりが2時間以上の格闘の末、内定を辞退。就職留年で報知新聞社に入社したが9年間、西日本エリアの新聞販売店を営業する部署で鍛えてもらった。念願かなって18年に異動。阪神担当になったが、32歳のオールドルーキーにとっては挫折の連続だった。なんとか食らいつき、今年で中日担当4年目を迎え、このコラムを書かせていただいている。
誰しも心が折れてくじけそうな時は必ずある。それは、スーパースターの根尾にだってある。でも、必ずあの鋭い眼光と屈託のない笑顔で1軍の舞台に帰ってくると信じている。根尾が愛す言葉は「継続は力なり」。信じれば、必ず道は開ける。軽快なサカナクションの音楽に乗せ、ファンの手拍子とともに、背番号7のフルスイングを待つ。
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