突然すぎる“再コンバート”通告だった。4月21日、中日・立浪和義監督が、根尾昂外野手を再び「遊撃手」として試合に出場させ、育成するプランを明かした。指揮官は「外野の守備を見てると遊撃もおもしろい。京田にライバルらしいライバルもいない。そういう意味でもやらせてみようという決断になった」と説明。同日の2軍・ソフトバンク戦(ナゴヤ)では「1番・遊撃」で出場した。

 巨人、ヤクルト、日本ハムと4球団競合の末、2018年のドラフト1位で地元・中日に入団。「とにかく試合に出たい」。投手としても高く才能を評価されたが、自らの意志で遊撃手としてプロの世界へ飛び込んだ。2年目は9試合に出場し、プロ初安打も放った。3年目は初の開幕1軍どころか開幕スタメンに名を連ね、一気にジャンプアップ。プロ初本塁打がグランドスラムという離れ業は、中日の日本人では1950年の杉下茂さん以来71年ぶりの快挙だった。

 そして、4年目の2022年。打撃力アップを命じられ、自慢の強肩も生かすという意味で、昨秋キャンプから外野に専念。1学年下の岡林勇希と外野を争い、結果的に2年連続の開幕スタメンはつかめなかったが、開幕1軍メンバーとしてベンチ入りした。開幕後は出場機会が限られながらも、日に日に打撃練習の打球も力強さを増し、初安打も飛び出して好感触をつかみかけた……矢先の2軍行き。ナゴヤ球場で立浪監督と話し合い、遊撃として再出発することが決まった。

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根尾昂

3歳のときに出会ったバッテリー

 時はさかのぼり4月19日、根尾昂、22歳の誕生日。根尾から、バンテリンドームに招待されたかつての球友がいた。西川薬師さん。現在は、岐阜・朝日大で硬式野球部に所属している。

 西川さんと根尾は、3歳のとき出会った。河合保育園から河合小学校を卒業するまで、西川さんを含めた12人がずっと一緒の仲間。野球を始めたのは根尾の方が早かったが、2人は小学5年生からバッテリーを組み、飛弾高山ボーイズでも息ぴったりのコンビとなった。圧倒的な投手・根尾のパフォーマンスが捕手・西川さんの潜在能力を引き上げたのは間違いなかったが、時に周囲から「西川が捕手じゃなきゃ、根尾は150㌔も出てた」と心ない言葉を浴びせられたことも。そのたびに5、6歩先を行く根尾の姿をがむしゃらに追いかけ,中学卒業までの5年間女房役を務めた。

 まだ世の中に出ていない根尾少年の逸話を聞けば、どんどん出てくる。例えば、中学時代。練習試合で凡打をした次の打席、根尾は打撃に納得がいかず、いら立ちながら唐突に「ホームラン打ってくるわ」と言い残し、両翼99メートル、中堅122メートルのKYBスタジアム(可児市)で有言実行の柵越えを放った。古川中では休み時間、バスケットボールに熱中。バスケ部のエースは全国大会に出場する実力者だったが、マイケル・ジョーダンに憧れていたという根尾は対等に張り合い「ところで、あいつ何者なんだ?」と体育館をざわつかせた。生徒会長を務め、模範的。女の子にはシャイな一面もあったが、体育祭のクラス対抗リレーで半周遅れからゴボウ抜きで勝ってしまう。絵に描いたような最強のスターだった。

 西川さんは、根尾の意識の“高さ”に驚いたこともある。例えばコンビニでの買い物。お腹をすかせた猛獣のような大学生はホットスナックや、特盛りと名のついたカップ麺に手を伸ばしがちだが、プロ入り後の根尾は一目散にチルド棚へ。風邪の予防に効果あると言われているR‐1や、カットフルーツを次々へかごに投入。「健康管理は大事でしょ?」と言わんばかりの顔でレジに並ぶ姿は、まだ20歳前半とは到底思えなかった。西川さんの誕生日には「FR2」というブランドの服をプレゼント。西川さんも先月の根尾の誕生日には、バイトで貯めたお金で「ホカオネオネ」というブランドのリカバリーサンダルをプレゼントした。