隅田知一郎は、「忘れられない場所」に、「忘れ物」をしてきた。
開幕から先発ローテーションの一角を任され、デビュー戦で勝利を挙げた左腕をこの先語るとき、どうしてもついて回るエピソードになるだろう。
「財布」である。
冷え込んだ冬の日だった。1月5日。西武ライオンズ担当の報道陣は「若獅子寮」の前で、寒さに震えながら、隅田の入寮を待ち構えていた。
「財布を忘れてしまった」という彼のインスタグラムの投稿に最初に気づいたのは、ほかならぬ私だった。
「隅田くん、長崎に財布忘れたみたいっすよ」。その場で情報を共有した。こうなると、特にスポーツ紙の方々の反応は素早い。4球団競合左腕のちょっとした「事件」は、当然のように格好のネタになった。
到着した隅田にひと通り、プロでの抱負やオフにどんな練習をしていたかなどを聞き終わると、財布についての質問が飛んだ。
「飛行機を降りて(スマホの)電波がつながるようになって、親から『財布忘れているよ』と。岳野スカウトから1万円、借りたので、あとで返します」
「そういうおっちょこちょいな部分があるので、直したいです」
瞬く間に記事が出来上がる。「借金入寮」「貯金を作れる投手に」。翌日の朝刊で1面にしているスポーツ紙もあった。
これはこれで、クスッと笑える話として、いい。ただ、私は同時に、その3カ月ほど前に隅田から聞いた話を、感慨深く思い出していた。
大好きな故郷を代表し、夢のプロ野球へ
「長崎空港は海上空港なんですよ。海の上にできた、世界で初めての空港です。あと、大村は競艇発祥の地でもあります」
「名産はなまこ、とか。お正月は、絶対に食べます。なまこをポン酢につけて食べるんですよ。母方のばあちゃんの家に親戚で集まるんですけど、絶対にばあちゃんの茶碗蒸しとなまこは食べますね」
隅田を初めて取材させてもらったのは、ドラフト直後の昨年10月末だった。福岡県北九州市の西日本工大キャンパスで、約1時間。そこで聞いたのが、彼の故郷のことだった。
長崎県大村市は、県中央部に位置する。隅田はここで生まれ、少年時代を過ごした。高校時代は大村市から北へ約30~40キロの波佐見高校(波佐見町)で野球に打ち込んだ。
どちらも、隅田にとっては「忘れられない場所」だ。
「大村は長崎県の真ん中にあるんですけど、めちゃくちゃ住みやすいんです。できれば残りたいと思うような街でした」
西日本工大に進んでからも、試験期間などを利用して、年に5回ほどは帰省した。「再試がないように、ちゃんと勉強も頑張って、地元に帰るようにしていました」
そんな大好きな故郷は、もちろん、プロ入りを盛大に祝ってくれた。ドラフト後は大村市や波佐見町などを表敬訪問。そこでの歓迎ぶりは、22歳の心を揺さぶった。
大村市役所ではライオンズの帽子をかぶった園田裕史市長をはじめ、職員が総出で出迎えてくれた。
「波佐見町もそうですけど、垂れ幕や看板で『おめでとう』と。街ぐるみで、反響がすごかった。市役所の方も全員で迎えてくださって。『すごいね』って言ってもらって。これが地元なんだなって思いました」
地元からプロ野球選手が出る。東京や大阪など、都会ではそう珍しいことではないかもしれない。ただ、地方都市となれば話は違う。
郷土の誇り――。大村市の子どもたちは隅田の活躍を見て、「僕もプロ野球選手になりたい」と夢見ることだろう。