2021年に90歳を迎えた作家の曽野綾子さんが、老年を生きるための心構えや若者へのメッセージをつづったエッセイ集『百歳までにしたいこと』から「貧困と無知が生む泥棒」と「暇は価値を生んだ」の2つを抜粋してご紹介します。(全2回の1回目/後編を読む)
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貧困と無知が生む泥棒
私は両親や夫と共に外国暮らしをしたことがないので、日本の教育がどの程度完成したものかを比べる方法も機会もない。
日本人は国民全体が勤勉で個々の生活の基盤が成り立っているせいか、道徳的でもある。
親が子供に乞食や万引をさせて生きている家庭を見られる国もあるが、日本ではそういう家庭が現実に存在するとは聞いたこともないし、私はまだこの眼で略奪という光景を見たこともなくて済んでいる。
貧しい人たちが倉庫やスーパーなどの窓やドアを破り、怒濤(どとう)の如(ごと)く押し入って中にあるものを手当たり次第に取っていく光景は、ニュースとドラマでしか見たことがないが、もし自分がその場にいたら、と思うことはよくある。
日本の道徳教育は、その人を取り巻く社会全体が落ちついている中で行われるという想定である。自然災害や戦争などの異常事態が起きると、道徳の基準もほとんど数日の間に変質してしまう。
まだ日本社会が今ほど豊かでない時代に、私の海の家に泥棒が入った。現金、宝石はもちろん、美術品のようなものさえ一切ない家である。その代わり台所用品から衣類まで、そこには東京の家では使わなくなった古い物が置いてあった。他に辺鄙(へんぴ)な場所だったので、当時は少し珍しかった小さな冷凍庫だけは新品があった。泥棒はもちろんその冷凍庫も持っていった。