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今は休みは外出するもの、と人々は決めているようだ。しかし昔、休みに人々は家にいた。怠け者は一日中、ごろごろ寝そべって本を読んでいた。体は休まるし、頭に知識は増える。おまけに外に出ることで、余計な小遣いをつかわなくて済む。
むしろ現代の生活で問題になるのは、寝そべる時間や本を読む暇がないことなのだ。しかし外界や他者と「密な」時間や距離で生きる危険性は、ほとんど誰も気にしない。
時間は、いつも変化に富み、他人にもその使い方を説明できるようなものでなければならない、と今の人々は考えている。昔、学生の生活では、することが全くない時間がいっぱいあった。本当は学問をするための時間であったのだが、学問はしたくなかったのである。
しかし遊ぶには、小遣いが足りなかった。だから若者は、止やむなく家で寝そべって古本を読んだり、妄想に近いことを考えたりして時間つぶしをしていたのだ。しかしこの妄想が、時には未来に創造的な世界を生み出す力を持つことがあった。明らかな暇は、決して不毛なものではない。それはあらゆる世界を創造し得る豊饒(ほうじょう)な大地だったのである。
暇は、暇だから価値を生めたのだ。それを簡単に説明可能な使い方で、軽々に埋めてはならない。遊園地やデパートの人ごみの写真を見ると、その不思議な力関係を思い出す。