ときには日本食レストランの主人から差し入れをもらうなど、当地では多くの人が筒香を支えていたという。
なぜ、筒香は日本球界に戻ろうとしなかったのか
プロ野球選手になり完全に花を咲かすまで5年の月日を要したが、それでも横浜高校からドラフト1位でベイスターズに入団した野球エリートである。そんな筒香が泥水をすすりながら裸一貫でメジャー復帰を目指しマイナーで奮闘する日々を過ごしていた。ともすれば日本球界に戻るという選択肢もあったと思うのだが、なぜ筒香はアメリカにこだわったのだろうか。
「ひとつは子どもたちに野球で夢を持ってもらいたいということだと思います。現地でもその話はよくしていましたし、その想いゆえに筒香選手が自分の故郷に野球施設を建設するというニュースがあったのはご存じかと思います。
ただ、それに付随し、本人の心の奥底には、アメリカは子どものときから憧れだった場所ですし『このままでは終われない』という気持ちが強かったと思います。少なくとも僕にはそう見えましたね」
諦めきれない熱い想い。ピュアな気持ちをもって野球を楽しみ、コツコツと集中するなかで、筒香はマイナーで快音を響かせ、アベレージを上げていった。
筒香の語った“自らの才能”
「筒香選手はあるときこう言っていたんです。『野球を覚えること、順応するまでめっちゃ時間がかかるけど、順応するまでやりつづけられるのが自分の才能だ』と。いわばコツコツやっていく天才なんだと思います。
試合はもちろんバッティング練習でも1球1球全部にプランがあると言っていました。それを毎日積み重ねて、自分の感覚を少しずつ掴んでいく。僕は野球のことはよくわかりませんが、自分でどうにかしてちょっとずつでも進んでいく能力はズバ抜けていると感じました。だからこそオクラホマシティ・ドジャースで返り咲くことができたんだと思います」
結果を残しても昇格できない日々。崖っぷちで筒香は…
しかし結果を出してはいたものの、なかなかメジャー昇格は決まらなかった。時間が限られたなか他球団との交渉も遅々として進まない。アメリカの壮大な景観とあいまって、まるでロードムービーを見ているようなシリアスな展開が続いていく。
緊張感をもって傍らでファインダーを覗きつづけた辻󠄀本監督。“喜怒哀楽”と“心技体”、複雑に入り混じった五感を研ぎ澄まし、コントロールし、自ら答えを導き出していく筒香の姿は、この作品のハイライトとも言えるだろう。尋常ではないメンタルの強さを発揮する男の生きざまが、そこにはあった。