異国で野球をやるって、孤独なことですから
秋山の野球選手としての魅力は、プレー面にとどまらない。
試合で結果を出せなかった日はもちろん、結果を出した日も試合後に室内練習場で打ち込んだ。たとえホームランを打てたとしても、その結果だけでよしとせず、ひたすら野球に向き合い続けた。結果を出す選手が「練習の虫」なのだ。チーム、特に若い選手に与える影響は計り知れないだろう。
どこまでも「真面目」な秋山は、2021年オフのラジオ番組収録でこう語っていた。ラジオ本編では尺の関係で泣く泣くカットせざるを得なかったのだが、秋山の人間的な部分を感じた一節だ。
「アメリカに行って自分が外国人になって、外国人の選手になにかできることがあったのではと今更ながら思いましたね。空港に見送りに行ったりとか。それだけで『受け入れてもらった』と思われるだろうし。ちょっとしたことです」
「あとはファーストネームで呼ぶとか、ニックネームで呼ぶとか。アメリカではみんな『ショウゴ』と呼んでくれるんですけど、それだけで距離がこんなに縮まるのかと。メヒアのこともずっとメヒアと呼んでいたし、ニールのことをザックと呼んでいた人っていたかなって。異国で野球をやるって、孤独なことですから。そういう中で考えることはいろいろありましたね」
「嫌われても言わなければいけないことがある」と、時に嫌われ役を買って出ることもあれば、チームをチームにするために小さなことにも気を配る。秋山の大きな魅力だろう。
思えば、メジャー移籍直後、アリゾナでのスプリングトレーニングでも秋山の心配りを感じる出来事があった。
私が休暇を取ってプライベートでスプリングトレーニングを観に行っていた折、いくつかの偶然が重なって、メジャーリーガー・秋山翔吾の初ヒットに立ち会うことができた。時を同じくして日本では、文化放送の松島茂アナウンサーが闘病の末この世を去った。秋山のアメリカ初ヒットと松島さんの命日は同じ日だった。
かねてから親交のあった松島アナに「持っていってほしい」と、そのボールを預かることになったのだ。「ご家族が受け取ってくれれば、だけど」と前置きする気遣い。秋山とはこういう人間なのだ。
ファンのみならず、マスコミの中にも魅了される人間が多いことをご理解いただけるだろう。
挑戦を続ける秋山に伝えたいこと
アメリカにとどまり挑戦を続けることができても、それが容易な道でないことはこれまでの2年間から想像に難くない。慣れた日本でプレーすることを選ぶことだってできたはずだ。
それでも秋山は、メジャーへの夢を追い、アメリカでプレーすることを選んだ。
そもそも、レッズのマイナー契約を断りFAとなる、いわば保険を外すような厳しい選択を「他に獲ってくれる球団があるなら、それはレッズ傘下にいるよりもメジャーに上がれるチャンスがあるから」とやってのける人だ。
まだやり尽くしたなどと言えないから、困難でも挑み続ける。やり尽くしたと思えるまで、もがいて、足掻いて、抗う。秋山らしい決断だ。
そうと決まれば我々ファンは応援するのみ。
「First Pitch」(マイナーリーグの全試合の詳細がわかるアプリです。オススメですよ!)でチェックしながら、心の中で「がんばれ!」と応援するのみだ。
ライオンズに戻ってくるのはもう少し先でいい。その時、秋山のポジションがないくらいに選手が活躍していたらいい。
ただ、戻ってくるようなことがあれば、その時はベルーナドームいっぱいのファンで「歓迎会」をやろうじゃないか。
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