2022年2月、ウクライナへの軍事侵攻を開始して世界中から非難を浴びたロシアのプーチン大統領。首相時代も含めると、22年もの長い間ロシア政治の頂点に君臨してきたが、ついに2024年に大統領の任期を終える予定である。

 ここでは、池上彰さんの「週刊文春」連載コラムをまとめた『独裁者プーチンはなぜ暴挙に走ったか 徹底解説:ウクライナ戦争の深層』より一部を抜粋。プーチンが進めている「院政」計画について、池上さんの解説を紹介する。(全2回の2回目/前編へ続く

プーチン大統領 ©文藝春秋

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プーチン大統領、「院政」狙いか

 2020年1月15日、ロシアのプーチン大統領に対して、メドベージェフ首相が内閣総辞職を申し出ました。同時にこの日、プーチン大統領は憲法を改正する考えを示します。内閣総辞職に憲法改正。プーチン大統領は、2024年の任期が終わった後も長期の「院政」ができる体制を作ろうとしているのではないかという見方が出ています。どういうことなのでしょうか。

 プーチン氏が初めて大統領に就任したのは2000年のこと。このとき大統領の任期は4年で、連続2期までと決まっていました。

 したがって、2008年に任期切れとなったのですが、世界が驚いたのは、大統領が首相になったことです。それまでプーチン大統領の下で第一副首相を務めていたメドベージェフ氏に大統領の座を譲り、自分は首相になったのです。

 もちろん大統領になるには選挙で当選しなければなりません。プーチン大統領は、メドベージェフ氏を後継者として発表。選挙でメドベージェフ大統領を誕生させたのです。その上で、メドベージェフ大統領に自分を首相に任命させました。

 そうか、この手があったのか。当時、私はそう感じたものです。大統領を続けられるのは連続8年までなので、いったん大統領を退任しておけば、次に再び大統領になれるというわけです。

 その狙い通り、メドベージェフ大統領は1期4年務めただけで次の大統領選挙には出馬せず、2012年にプーチン大統領が返り咲いたのです。プーチン大統領は、自分の忠実な部下のメドベージェフ氏を、今度は首相に任命しました。出来レースですね。これは「双頭(タンデム)体制」と呼ばれました。ロシアの国章に「双頭の鷲」が描かれていることをもじった表現です。