1ページ目から読む
3/3ページ目

 

錦織 僕の中で、ジャニーさんのいないジャニーズ事務所にいる意味を見出せなかった。僕がいる意味が分からなくなった。

――それまで、退所と背中合わせだと感じていたものが、ジャニーさんが亡くなって、次のステージへ進もうと決断されたということでしょうか?

ADVERTISEMENT

錦織 実はジャニーさんと一度、退所に関して電話で話をしたことがあってね。なかなかお互い時間が合わなくて、僕が仕事で四国にいるときにわざわざ電話をくれてさ。そこで「僕の退所をどうしようか悩んでる」って話をしたことがあるの。自分が今いる場所、今ある状態ってバッターボックスで打順回ってきてねえよみたいな。なんとなくネクストバッターが続いてるような感じがするとかさ。ジャニーさんも「なるほどね。それはよくないね」って聞いてくれて。2時間くらい話したかな。それがジャニーさんとは最後になったかもしれない。

撮影:佐藤亘/文藝春秋

ジャニーさんだけが俺のことを認めてくれた

――歌、踊りともに段違いで、「ジャニーさんの最高傑作」であった少年隊、その人気をリードしたのが錦織さんでしたが……。

錦織 ジャニーさんしか……。ジャニーさんしか、俺のことを認めてくれなかった。その代わり誰よりも俺のことを認めてくれた。ジャニーズ事務所の中で僕を認めてくれるのはジャニーさんだけだったから。ジャニーさんと共にやってきた。だから、その電話から何年か後にジャニーさんが亡くなったときに、俺の中でジャニーズ事務所にいる意味がなくなった。

「ジャニーさんが亡くなったときに、俺の中でジャニーズ事務所にいる意味がなくなった」 (撮影:佐藤亘/文藝春秋)

――決意が固まった。

錦織 そうだね。そこにいくまでに、たとえば滝沢(秀明)の舞台とか、毎年大晦日にやってるカウントダウンコンサートにも何度か出てたよ。もちろん立候補じゃなくて、呼ばれて出てるんだけど、ステージに上がっても心の中で「ダメダメダメダメ、こんなの老害老害……!」って自分で自分のことを思ってるんです。「何やってんだお前、早くはけろ」って。

 だってそうでしょう。自分なんかがテレビに映るより、今テレビ観ている子たちは、もっともっと若い子とかジュニアの子が観たいわけで。自分でももっと彼らを映してあげなよって、俺は俺に叱られてるんです。そういったこととか色々考えながら、次のステージに進んでいこうと思っていったかな。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。