85年に『仮面舞踏会』でデビューするやいなや、大ヒットした少年隊。先輩には田原俊彦や近藤真彦、後輩には光GENJIやSMAP、TOKIO、V6、そして嵐など、錚々たる面々のジャニーズ事務所において、少年隊は圧倒的な人気と地位を獲得した。ダンスはニューヨーク仕込みでハイクオリティ。歌番組では煌びやかな衣装を身にまとう。
そんな一世を風靡した少年隊の一人が、錦織一清さんだ。錦織さんは、アイドルとして多忙な日々を過ごす中、何を思い、どんなことに戸惑いがあったのか。東京下町育ちの江戸っ子で、友達と土手で遊び、河原で釣りを楽しんでいた少年が、芸能界に入ったことで世界が一変していき――。(全3回の1回目/#2、#3を読む)
アイドル歌手の女の子たちが、俺たちを蔑みの目で…
――少年隊は、デビュー曲『仮面舞踏会』が大ヒットして華々しい活躍をされましたが、デビューするまで長かったそうですね。
錦織 小学生のときにジャニーズ事務所に入って、デビューしたのが20歳でした。結構長いよね。はじめは近藤真彦さんのバックダンサーについたり、1日5回、コンサートとか公演した日もありました。
――1日5回とは、中々ハードですね。
錦織 もう、何回目かわかってなかったですよ。
――(笑)。デビュー前から、既に歌番組で歌を披露されていたとか。
錦織 テレビ東京などで、当時ヒットチャートに入っているような方の曲を、紹介がてら歌わせてもらったことはありましたね。ただ、いわゆる歌番組としてちゃんと出たのは『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)だったかな。まぁ、レコード出す前だったので、周りからは非難ごうごうでしたけど。
――非難ですか?
錦織 当時は、デビューしているタレントとしてないタレントでは、差のつけ方がもの凄かったんだよ。僕らはレコードを出してない時代がものすごく長かった。そうすると、もう小者扱いなわけ。だから、年下で先にレコードデビューしてるアイドル歌手の女の子たちが、俺たちを蔑みの目で見ていたりとかね。
――スタッフさんたちの対応はいかがでしたか?