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ジャニーさんに「女の子にキャーキャー言われたいの? 何なのそれが?」と

――ハードながら、技術を磨くにはかなり恵まれた環境だった。

錦織 とにかくジャニーさんは「練習しろ、練習しろ」だから。僕たちのグループは、「洋服を買いに行く」とか「美容院に行く」ってジャニーさんに言うと、あまり喜ばれなかったんだ。「そんな時間あるんだ?」って。「カッコいい洋服着たいの? それで女の子にキャーキャー言われたいの? 何なのそれが?」と。「じゃあショーどうするの? 出し物で見せろ、出し物で! 芸で稼げ! 芸で稼げ! 芸で稼げ!」って、僕らの場合はね。だから、とにかく練習練習だった。

仮面舞踏会(1985年)のジャケット。メンバーは20歳前後のデビューだった

事務所内の付き合いはあまりなかった

――多忙な日々を過ごす中、ジャニーズメンバーでご飯を食べにいくとか、プライベートで遊ぶようなことはあったんでしょうか?

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錦織 ジャニーさんが嫌がるの。実はジャニーさんは、ジュニアの子たちが横のつながりを作るのを嫌がってた。ジャニーさんは、ジャニーさんに向かってみんなのベクトルが向かってるとか、ジャニーさんからの流れがなきゃ嫌なの。「ここ」と「ここ」が仲いいとか。そういうのをジャニーさんは嫌いだった。

――ジャニーズの先輩後輩で、先輩を「何々くん」って呼んだり、「ご飯おごってあげた」といったエピソードを時々拝見しますが、実はジャニーさんはあまりそういったことがお好きではなかったと?

錦織 というか、俺たちの時代は、今みたいにすぐ近しい中で誰かがデビューする時代じゃなかったしね。デビューが3年前のシブがき隊と俺たちが一緒に飯食いに行ったかって言うと、そんな記憶もない。事務所内の付き合いとかあんまりなかったかなぁ。先輩が後輩にお年玉をあげなきゃいけない風習もなかったしね。

 ただ、川崎麻世くんは俺のことをよく可愛がってくれて。俺をバイクの後ろに乗せて、世田谷のロイヤルホストによく連れてってくれたよ(笑)。麻世くん、好きだったんだ、世田谷のロイヤルホスト。

――「お年玉」は気づいたら出来ていた文化だったんですね。

錦織 僕、あげたことないですよ。だって後輩の方が稼いでるんだから(笑)。後輩にもらいたいくらいですよ。

――そうなんですね(笑)。ねだられることもなかったと。

錦織さんが明かす「口にすると親父に怒られる言葉」とは… (撮影:佐藤亘/文藝春秋)

錦織 俺ね……、うちの親がそういうのダメだったんですよ。僕は貧乏人だった。うちは裕福な家じゃなかった。僕は東京の平井という下町で育ってるんだけど、貧乏人のプライドってなんだと思います?