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「ジャニーさんしか、俺のことを認めてくれなかった…」 錦織一清(56)が退所前にジャニーさんと話した“2時間の電話”

錦織一清インタビュー#2

2022/05/19
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俺だけだよね。「俺が俺じゃないこと」を知ってたのは。

 ただ…、俺の本意じゃない魅力に対して、応援してくれた人もいっぱいいる。俺は、本当にそれが申し訳なくてしょうがなかった。今でもそう思ってるよ。ほんとの自分はこれだもんね。「いつからそう思ってましたか?」「いや、最初からです」って。アイドルとして、ステージで歌ってるときからって話になるんです。

「俺は元々『バイバーイ』とかやるタイプじゃないんだ。下町育ちだから、会釈の方が気持ちに合っている。(撮影:佐藤亘/文藝春秋)

――ずっと違和感がありながらも、ファンの前ではアイドルとして明るく振る舞う錦織さんがいらした。

錦織 車に乗ると、ファンの人達が外から手を振ってくれるんだよね。俺も車内から「イエーイ!」とかやってたよ。でも後から、なんで俺は、車の中からあんなに手を振ってるんだ?って。俺は元々「バイバーイ」とかやるタイプじゃないんだ。下町育ちだから、会釈の方が気持ちに合っている。だから、もう一人の俺が後ろから俺のことを見てたら引っぱたいてたよね。「バカヤロー! 何やってんのお前」って。「お前そうじゃないじゃん。そんな甘い男じゃねえじゃん」ってさ。

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――元々は、矢沢永吉さんに憧れていらしたんですよね。

錦織 硬派でさ。スタンドマイク持って歌ってね。だから、僕の「一番の夢はなんですか?」と聞かれたら、必ず言うよね。「止まって歌うこと」って。歌手なんだから、止まって歌いたかった。ダンサーが歌ってるんだか、歌手が躍ってるんだか分からないでしょ。どっちかって言ったら、ダンサーが歌ってたんだよ。だから、止まって歌うことが夢でさ。あのスタンドマイクで……、夢だったね。

――当時はそういった思いを、どなたかにお話しされたりは?

錦織 しない、しない、全然。すべて仕事としてやってたし。俺だけだよね。「俺が俺じゃないこと」を知ってたのは。

「一番の夢はなんですか?」と聞かれたら… (撮影:佐藤亘/文藝春秋)

――途中で辞めたいとか、違う方向にいきたいといったことは、何度か考えていたんでしょうか?

錦織 何度かと言うか、ずっと背中合わせだったんじゃないですかね。ちょっと長く居ついちゃったかなって思うよ。たとえば青山劇場で『PLAYZONE(プレゾン)』という舞台を、21歳から23年間もやらせてもらったけど、僕らが40過ぎまで続いたんだよね。

 でも、本当だったら青山という場所も、僕たちが公演していた夏休みという季節も、全部若い人たちとか子どものものだよ。そこに23年間も一番いい場所で、いい季節に随分とやらせてもらっちゃった。そういった思いに苛まれながら、退所するまでいたような気はする。

――少年隊の『PLAYZONE』が終わったのが2008年ですが、2020年に退所するまでに12年間ありますよね。改めて、最終的にジャニーズを退所しようと思ったタイミング、理由はなんだったのでしょうか?