――ドラマなどでは見たことがありますが、リアルにそういう状態だったわけですね。
三宅 そうですね。1年生の2学期、バイト先に担任と父が来て、「もうこれ以上学校に籍を置いておくのは無理」と退学を言い渡されました。当時は母が病気で入院していて、その母に「退学になった」と伝えるのはさすがに申し訳ない気持ちでした。泣いている母を見て、自分の人生が右肩下がりに落ちている気がして、相当落ち込みましたね。でもその時に、自分はこのことをいつか講演で話したり、本に書いたりするんだと思ったのを、今でもハッキリ覚えています。
――では、その後は生き方を改めて?
三宅 退学になってからも風貌はヤンキーのままでしたが、中身は真面目になりました。地元のお好み焼き屋さんに就職して「社会人」になったことで、両親との関係も自然に回復していきました。しばらくは彼氏が借りたアパートに住み続けていたんですが、巡回に来た警察の質問に聞かれるままに年齢などを答えていたら後日母と出頭する羽目になり、「実家に戻りなさい」と言われて、同棲生活もコリゴリしていたのでラッキーと思って実家に戻りました。
「よかったなあ、オマエ。目標ができて」
――その後、17歳で高校に入り直しています。
三宅 そうなんです。お好み焼き屋さんの仕事終わりに父がお寿司を食べさせてくれて、帰り際にデカルトの「方法序説」を手渡されたんです、「我思う、ゆえに我あり」のアレです(笑)。もらったのでせっかくと思って辞書を片手に読み始めたんですが、難し過ぎて1日1ページくらいしか進まないし意味も全くわからない。勉強したらこれを読めるようになるんじゃないかと思って、大学に入るという選択肢が初めて頭に浮かびました。
――きっかけはデカルト。
三宅 結局、今だに読めてないんですけどね(笑)。それでお好み焼き屋を辞めて高校受験の予備校に通い始めて、2年遅れで2度めの高校生活を始めました。1回めに入った時とは偏差値が20ぐらい違う進学校で、今度はバイクも改造制服もなし。意外とすんなり溶け込めて、空手部に入って、同じクラスの子と恋愛したりとそこそこ青春もして、無事卒業。
――そのまま大学へ入られたんですか?
三宅 それがもう少し遠回りをしまして、高校卒業後1年はホテルでウェイトレスとして働き、2年目から大学受験の予備校へ通い始めたもののサボり癖が再発。結局まともに勉強を始めたのは高校卒業後3年目でした。予備校の英語の講師に憧れて、父親に「英語の先生になりたいので、もう1年予備校に行かせてください」と頭を下げた時は怒られるかなと思いましたが、父は「よかったなあ、オマエ。目標ができて」と言ってくれて……。あの時は嬉しくて有り難くて、自分の部屋で号泣しましたね。