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――その時三宅さんはすでに結婚されていますよね。夫の方はどんな反応だったんでしょう。

三宅 夫も彼女を引き取ることには賛成で、「養子縁組すれば?」と言ってくれました。夫はいつも私をサポートしてくれて、私が商社を辞める時や会社を立ち上げる時もまったく反対せず、私のやりたいことを応援してくれました。結局養子縁組は実現しなかったんですけど、2016年1月から彼女の身元引受人になって1年間一緒に暮らしました。

©文藝春秋 撮影/宮崎慎之輔

――彼女とは今も付き合いが続いているんですか?

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三宅 はい、親代わりです。近県にいるので、1~2ヵ月に一度は会いに行きます。シングルマザーで5歳と3歳の子どもがいて、私は「ばぁば」とか呼ばれてます(笑)。身元引受をする時に考えたのは、「彼女はどんな環境だったらハッピーだろう?」ということ。その時に、犯罪や非行歴のある人が過去を隠さずに働くことができたら、嘘をついたり経歴を隠す必要がなくなる。辛い過去があるからこそ自分と似た境遇の人に親身に接することができれば、過去も自分にとって価値があるものになるのではないかと思いました。

少年院の面会室で伝えた、会社設立記念日の由来

――それで、会社を作って求人誌を作るようになったのですね。

三宅 会社の設立記念日は、彼女の誕生日と同じ日なんです。彼女は親に「産まなきゃよかった」と言われて育ったから、自分の誕生日が嫌いだと話していました。私はグレていたと言っても、親に愛されてる実感は常にあったし、学校へ行きたいと言えばお金を出してくれる家でした。私は単に甘えてただけ。でも世の中には、全く違う環境で生まれ育つ人がいっぱいいるんです。彼女もその1人でした。そんな彼女に「生まれてきてくれてありがとう」と伝え続けるために会社を作ったんです。

©文藝春秋 撮影/宮崎慎之輔

――それは嬉しい言葉ですね……。

三宅 当時はまだ彼女は少年院にいたのですが、面会室でそれを伝えた時は彼女も私もボロボロ泣いて、今もその日になると思い出します。会社を作った時は事業内容も具体的には決まってなかったんですけどね(笑)。会社の名前は、父から本をプレゼントしてもらったアメリカの劇作家ウィリアム・サローヤンの「ヒューマン・コメディ」からとりました。仕事で誰かを笑顔にして、自分も最後に笑って死ねたらいいなと。(#3につづく)