――ダチョウ倶楽部のブレイクのきっかけというと「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!」(日本テレビ系)の印象が強いです。「聞いてないよー」「殺す気か!」などの名言も生まれました。
上島 たけしさんは以前太田プロにいらっしゃったので、ダチョウもその縁で出してもらえたんだと思います。でもたけしさんは僕らのことなんて全然知らなかったんですよ。ジミー(大西)ちゃんとか林家ぺー、パー子さん、桜金造さんとかいろんな方が真っ裸で海に飛び込んだり爆破されたりしてて、憧れはしたけど「自分にはできないな」って正直思ってました。でも追い込まれてイチかバチかでマイク争奪カラオケで全裸になったことが偶然ウケて、それでたけしさんにも名前を覚えてもらったんです。「ダチョウはバカでいいよな」って。
ロケの前日は怖かった
――番組の中でも、ダチョウ倶楽部は準メインのような大きな扱いでしたよね。
上島 だからこそ「お笑いウルトラクイズ」のロケ前日は逆に怖かったですね。出番が多いのはありがたいことなんですけど、爆破から何からすべて「ダチョウに最後のオチを決めさせるため」に番組が進むんですよ。スタジオ収録でも盛り上げてくれるし、それを絶対に裏切っちゃいけないと思って命懸けでした。たけしさんはダチョウ倶楽部にとって初めての冠番組だった「王道バラエティ つかみはOK!」(1993年・TBS系)で最初のゲストに来てくれて、「スーパーJOCKEY」(日本テレビ系)の人気コーナーの熱湯コマーシャルで僕らを知った人も多いはず。いまのダチョウがあるのはたけしさんのおかげです。
――プライベートでのたけしさんとの思い出はありますか?
上島 食事に連れて行ってもらったりしたことも何度かはありますけど多くはないですね。殿(ビートたけし)はたけし軍団さんと一緒のことが多かったので、そこに外部のダチョウ倶楽部をあんまり呼ばないようにしてたんじゃないかと思ってるんですけど、本当は「飲みに行くほどお前らのこと好きじゃねえよ」って思われていたのかも(笑)。いつか聞いてみたいですね。