ロシア人は、郊外に“別荘〞を持っている
別荘というと日本では、それなりに経済的に恵まれた人たちが持つ印象があります。一方、ロシアでは、豊かといえなくても、郊外に別荘を持っている人が少なくありません。
ロシア式の別荘はダーチャと呼ばれ、当初は金持ちだけのものでしたが、19世紀になると庶民も小さな土地と家を郊外に持つことが一般化したようです。第2次世界大戦後にはフルシチョフ政権下で郊外の土地が労働者に配分されるようになり、週末には森の中で暮らす習慣がさらに広がりました。
といっても、ソ連時代のダーチャはなかなか大変だったと聞いています。政府の要人などは都心から比較的近い場所に立派な国営ダーチャ(ゴスダーチャ)を与えられていましたが、一般庶民に配分された土地は都心から遠く、さらに駅からもずっと離れた場所ばかりでした。しかもソ連ではマイカーなど夢のまた夢ですから、ダーチャまでは自力で辿り着かねばなりません。
したがって、ダーチャ行きの準備は金曜日には始めねばならなかったようです。仕事を早く切り上げて食料を買い込み、それをリュックサックに詰めたら、土曜日の朝早くに郊外列車(エレクトリーチカ)に乗り込むのです。
電車は同じようにダーチャへ向かう家族ですし詰めになっており、ソーセージの匂いが充満している。これに1時間とか2時間耐えたら電車を降りて、ダーチャのある場所まで大荷物を抱えてまた歩く。そうしてようやくダーチャに辿り着いたら、そこで家庭菜園の手入れをしたり、森を歩いてキノコやベリーを取ったりして過ごし、夜は粗末な小屋とかテントで眠るのです。
一体、何故にそこまでして……と日本人は思いますが、そこにはやはり「森の民」であるロシア人の心を惹きつける何かがあるのでしょう。
うちの奥さんはモスクワ生まれのロシア人で、しばらく森に行かないと「森―――!!! 」と叫び出したりしますが、とにかくこうして時々森を「補給」しないとどうにも落ち着かないのがロシア人であるようです。ウィークデイは粗末なフルシチョフカに住んでいても、郊外は森の中で伸び伸びと過ごせるというのが、ロシア人には大いなる癒しであったわけです。
また、常に物不足の状態にあったソ連では、ダーチャの家庭菜園や森で採れるささやかな食糧は重要でした。ソ連崩壊後、餓死者がほとんど出なかったのは、ダーチャ文化のおかげともいわれています。
スーパーで豊富に食料が買えるようになった現代でも、ロシア人はやはりダーチャが大好きです。ソ連崩壊後に生活苦で手放してしまったという人もいますが、中産階級以上は大抵ダーチャを持っていて、今ではみんなが乗り回すようになったマイカーで週末には郊外へ向かいます(その分、「ダーチャ渋滞」という新たな問題が生じてもいるのですが)。建物も、最近では小洒落たデザインのものが増えてきました。
こうして森の中のダーチャについたら、全く自由です。ソ連崩壊後に普及した中央アジアふうの串焼き肉シャシリクを焼くもよし、その合間にお酒を飲むもよし。秋は森を歩いてキノコやベリーを採るのもロシア人の大事な楽しみですし、冬はクロスカントリースキーを楽しむ人もいます。家の中はペチカ(ロシア式暖炉)で暖かく、ちょっと経済的に余裕のある人はバーニャ(サウナ)を備えていたりもします。