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 社長就任時、ソニーの売上はおよそ4兆円。しかし、有利子負債も2兆円を超えていた。半ば聖域とされていた「エレクトロニクス」部門の技術開発費にメスを入れつつ、大量生産モデルの限界が大賀体制後半からはっきりしてきていた。それに反して、インターネットの普及、デジタル化への波は強まるばかりだった。

 1996年、「パーソナルコンピュータ」事業への再参入を宣言した出井は、インテルのアンドルー・グローブ会長、同じく会長だったマイクロソフトのビル・ゲイツとの連合をまとめ上げ、PC「VAIO」1号機を米ニューヨークで華々しく発表する。AV企業からAV/インターネットを融合した会社へ変貌するソニーを象徴するPCの誕生だった。そして、「VAIO」は一世を風靡するほどの大ヒットとなった。翌年にはブラウン管式平面テレビ「WEGA」もヒットする。

 有利子負債の圧縮も順調に進む。また「ソニーコミュニケーションネットワーク」(現、ソニーネットワークコミュニケーションズ)やスウェーデンの通信機器メーカー「エリクソン」との合弁「ソニー・エリクソン・モバイル・コミュニケ―ション」(現、ソニーモバイルコミュニケーションズ)などを設立。ソニーのネットワーク化を進める。

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 一方、ゴールドマン・サックス出身の松本大と折半でネット証券の走りであった「マネックス証券」を立ち上げ、デジタル化が著しかった音楽業界でもレコード大手「独BMG」を買収し、「ソニーBMG・ミュージックエンタテインメント」を設立。コンテンツビジネスでも布石を打っていた。

「僕はいつも10年早すぎるって言われてるんですよ」

 ところが、2003年、エレクトロニクスの不調が呼び水となり株価が暴落する「ソニーショック」や、また、「ウォークマン」がアップルのiPod、iTunesに完敗することも重なり、国内外、特にソニーOBやソニー支持者たち、かつてのソニー製品に郷愁を持つ者たちの間から出井退陣要求が強まる。1997年には出井を「世界のトップビジネスマン」と讃えた米ビジネスウィーク誌は一転、出井を「世界のワースト経営者」と酷評した。

出井伸之氏 ©文藝春秋

「僕はいつも10年早すぎるって言われてるんですよ」

 出井はこんないい回しで当時を振り返って見せた。

 2021年3月期、ソニーの純利益は初めて1兆円を超え、時価総額は15兆円以上となった。ソニー復活の原因は、そのポートフォリオを見れば一目瞭然だ。出井が社長だった当時、エレクトロニクスの売上は、およそ全体の70%を占めていた。現在では「エレクトロニクス・プロダクツ&ソリューション」のそれは25%程度でしかない。残りはゲーム、映画、音楽、金融といった言わばコンテンツビジネスがソニー復活を支えているのだ。