「(ソニーも)変化しなければ、隕石で滅んだ恐竜のようになってしまう」
そんな危機感から、同社のビジネスを製造業からデジタルにシフトしたのが、元ソニーCEO・出井伸之氏。今ではデジタルのような「無形資産」で儲けることは当たり前になったが、出井氏が社長に就任した1990年代はまだ夢のような、にわかに信じられない話だった。
ときには“世界のワースト経営者”と酷評される厳しい状況も。出井氏は当時をどう振り返るのか? ノンフィクション作家・児玉博氏による評をお届けする。
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「うちは製造業の会社なんだぞ」
個人、法人に対し金融サービスを提供する会社「マネーフォワード」。2012年に創業された新興企業だが、株式市場が低迷する中でも、時価総額は1800億円を超え、投資家からの信頼は厚い。
創業者の辻庸介は京大を卒業後、入社したソニーでこんな体験をしている。大学でバイオの研究をしていた辻はソニーの入社式で同社CEOだった出井伸之の言葉に胸躍る思いを感じた。
「ソニー創業者、井深大、盛田昭夫、岩間和夫、そして大賀典雄らが描いた夢をインターネットで、デジタルで実現していこう」
辻はこの言葉を聞き、震えるほどに感動し、「ソニーを選んで良かった」と独り言ちた。その感動を配属先の上司らに「ソニーはインターネットの会社になるんですね。デジタルの会社になるんですね。素晴らしいですね」と素直に伝えた。
ところが、上司からは思わぬ言葉が返って来た。
「あのな、ソニーは製造業の会社なんだよ。社長ももうすぐ変わるんだよ。忘れるなよ、うちは製造業の会社なんだぞ」
辻は入社から3年後にソニーが出資し、投資銀行「ゴールドマン・サックス」出身の松本大と立ち上げたインターネット証券の先駆者「マネックス証券」に出向、後に転籍し、ソニーに戻ることなく起業する。
1995年に社長に就任し、「Re-Generation」「Digital Dream Kids」を掲げ、ソニーをインターネット・コンテンツの会社へと舵を切った出井の10年間。それは、辻が体験した“製造業のソニー”との軋轢の10年間でもあった。
創業者・盛田昭夫が覚えた危機感
社長就任直後、出井は2つの標語、「Re-Generation」「Digital Dream Kids」を携えて、創業者であり、当時もなお“ソニーの顔”であった盛田昭夫を訪ね、感想を求めた。すると、盛田は顔を曇らせた。
「おい」
盛田は、出井が入社した時から可愛がり、若造の出井を誘ってはゴルフをともにするなど、会社の上司部下を離れて気心の知れる間柄だった。だから、敢えて盛田も明け透けな言い方をした。
「お前、これじゃ社内から反発が出るぞ。……社内だけじゃなくて、製造業すべてを敵にまわしはしないか……」