文春オンライン

知られざる『笑っていいとも!』の仕掛け人…“伝説の放送作家” 高平哲郎がタモリに見出していた“コメディアンとしての資質”とは

『放送作家ほぼ全史 誰が日本のテレビを創ったのか』より #2

2022/05/29

genre : エンタメ, 読書

note

 1976年にはタモリが初のテレビ番組レギュラーに。そうしたなかで、高平哲郎もテレビ番組の構成の仕事をするようになっていく。

『笑っていいとも!』にはスーパーバイザーという立場で参加

 担当したのは当然タモリ出演の番組が多かったが、漫才ブームとともにそれ以外の番組にもかかわるようになる。たとえば、漫才ブームの中心メンバーが大挙出演した『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ系、1980年放送開始)や『オレたちひょうきん族』などがそうだった。

 こうして関係性を深めた高平哲郎とタモリ、そして漫才ブームの火付け役となったフジテレビ。この両者が合流したところに生まれたのが、『森田一義アワー 笑っていいとも!』である。始まったのは、1982年10月。「密室芸」で正体不明の怪しげなイメージが強かったタモリが、お昼の帯番組の司会をすることを疑問視する声は当初多かった。しかし、フジテレビの賭けは当たり、結局30年以上続く人気長寿番組になったのは、よく知られている通りだ。

ADVERTISEMENT

 高平哲郎は、この『笑っていいとも!』には、スーパーバイザーという立場で参加した。メインMCのタモリ以外は各曜日で出演者も企画も違っていたので、それらを全体的に統括する役割である。高平自身はこの役割を、「とにかく面白く」なるように意見を言う「雑誌の編集長」のようなものと考えていた(『週プレNEWS』2016年7月26日付けインタビュー)。

『今夜は最高!』に生かされた編集者的感性

 ただ、高平哲郎の放送作家としての真骨頂は、やはりタモリならではのテイストの笑いをメインにした番組にあった。

タモリ氏 ©文藝春秋

 タモリと言えば、『笑っていいとも!』を思い浮かべるひとがおそらく多いだろう。だが、タモリのコメディアンとしての資質、やりたい笑いに最も忠実につくられた番組は、『笑っていいとも!』の前年に始まっていた日本テレビ『今夜は最高!』と言っていい。

 メインのタモリに加え、女性ゲストのパートナー、それに回替わりの男性ゲストの3人で番組は進行する。最初に短めのコント。このオチで、タモリが「今夜は最高!」と番組タイトルをコールする。その後は3人でお酒を酌み交わしながらのトーク、さらに長めのコント(「寅さん」など名作映画のパロディなどが多かった)、タモリがトランペット演奏を披露する3人の歌のコーナーと続いてエンディング。