「バラエティ・ショー」的なバラエティに惹かれていた
ちょっと詳しく書いたのは、この『今夜は最高!』が、音楽、トーク、コントをつないで構成される「バラエティ・ショー」のフォーマットに従っていたことをわかってもらうためだ。先ほど1980年代のバラエティ番組はお笑い芸人メインの笑いに特化したものになったと書いたが、『今夜は最高!』は、むしろ1960年代の『シャボン玉ホリデー』などの伝統に近いものだった。
それは、パロディ芸に一日の長があり、トランペットを吹き音楽への造詣も深いタモリだからこそできることだったが、同時に高平哲郎の嗜好に沿ったものでもあった。スタンダップ・コメディの研究家としても知られるように、アメリカのショービジネスやエンターテインメントに通じていた高平は、笑いに特化した日本的バラエティよりも、「バラエティ・ショー」的なバラエティに惹かれていた。
また、こうした「バラエティ・ショー」的番組は、先ほどふれたように、彼の編集者的感性が最も生かせる番組スタイルであった。『今夜は最高!』もまた、「雑誌のようなもの」であると、高平自身も振り返っている。雑誌に例えれば、それは、「表紙があって、グラビアがあって、座談会があって、読み物があって、音楽欄がある」ものだったからである(高平哲郎『今夜は最高な日々』、114頁)。
日本のバラエティ番組史を語るうえで忘れてはならない人物
草創期の放送作家たちが活字世代であり、小説家に転身したケースが多いことはここまで何度かふれてきた。高平哲郎も、活字世代の感性を色濃く持っている。しかし、彼の場合は、ライターとしてだけでなく、編集者として活字にかかわったところが特徴だ。そのことが、1980年代のテレビにおいて、放送作家としての独自のポジションを築くことにもつながった。
高平哲郎は、恒例になったフジテレビ系列の『FNS27時間テレビ』の立ち上げにも携わった。発想の出発点は、先行する日本テレビの『24時間テレビ』の感動路線に対抗して、徹底した笑い重視の番組をつくることだった。タモリの司会でやることを踏まえ、フジテレビ(当時)のプロデューサー・横澤彪から相談を持ち掛けられた高平は、「日本テレビと間違って一円玉のぎっしりつまった壜が河田町のフジテレビに届けられる」というパロディ的アイデアを出し、それは本番でも実行された(同書、170‐171頁)。こういったところからも、日本のバラエティ番組史を語るうえで忘れてはならない人物である。
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