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「俺の前にフリの人がいて成立するんですよ」取材中、上島竜兵さんの笑顔がフッと消えた瞬間

2022/05/20
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“熱々おでん”といえば上島竜兵になるまで

『お笑いウルトラクイズ』がスタートした80年代末は、お笑い界とテレビ界はまさに百花繚乱。『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ、1988~1997年)、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ、1989年~)、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(フジテレビ、1990~1993年)といったヒット番組が続々と生まれ、新たなスターたちが台頭した。

 ビートたけし、明石家さんま、タモリの“ビッグ3”は、さらにビッグに。志村けんも『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS、1986~1992年)や『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ、1987~1993年)で第二次黄金期に突入し、大御所たちもブイブイいわせていた。

 そんななか、鶴太郎はボクシングを始め、笑いを盛り立てていた小太りな体がスリムになった。さらに『異人たちとの夏』(1988年)や『妖女の時代』(1988年)などの映画で俳優としての活動を本格化、水墨画にも没頭して芸術家としての才能も開花させた。

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©文藝春秋

 冠の付いたバラエティ番組『鶴ちゃんのプッツン5』(日本テレビ、1986~1992年)や『鶴太郎のギャグハラスメント』(フジテレビ、1990年)も抱えてはいたが、鶴太郎が向いている方向は以前とは違っていた。新たなフェーズへの移行を注視していたものの、やはり彼に笑わせてもらう機会が減っていくことに寂しさを感じていた。

 そこへスライドするように現れて俺の心を射抜き、鶴太郎ロスを埋めてくれたのが上島だった。

 もちろん、上島竜兵は上島竜兵、片岡鶴太郎は片岡鶴太郎である。だが、鶴太郎が築いた立ち位置に上島なら立てるとも強く確信したのだ。

 そして気づけば、“熱々おでん”といえば上島竜兵となっていた。