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ロシア皇帝も買いに来た

 やがてメーリアンはさらなる飛躍を目指す。熱帯のジャングルにひそむ大型昆虫の生態を、何としても自分の目で確かめたい、新種も発見したい、その意欲のまま東インド会社に資金援助を申請し、船で3ヵ月かかる南米のオランダ領南スリナムへ旅立つ。52歳。この頃の感覚ではもう老年だ。遺言書をしたためての決行だった(実際、現地でマラリアに罹って一度死にかける)。

 彼女の凄いところは、スリナムでの2年の間、ただ自分の研究だけに明け暮れたわけではないことだ。農園主らに奴隷の待遇改善を訴えたり、医者不足の解消に薬草園を作ってはどうかなど、さまざまなアドヴァイスも与えている。

 帰国して発表したのが、大判の羊皮紙に手彩色された72枚の銅版画集『スリナム産昆虫の変態図譜』で、メーリアンの代表作となる。後にロシアのピョートル大帝も侍医を彼女の自宅に派遣し、この本を購入している。メーリアン作品を持つことが、とりわけロシアやフランスの好事家の間でステイタスとなったほどだ。

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 スリナムでは昆虫や植物ばかりでなく、オポッサムやワニなど動物も取り上げている。特異な形態の蛙を描いた『コショウソウとスリナムのヒキガエル』を見てみよう。

マリア・シビラ・メーリアン『コショウソウとスリナムのヒキガエル』1705年(ロンドン自然史博物館蔵、写真/ユニフォトプレス)

 スリナムのヒキガエルというのは、ピパ(=ピパピパ)のこと。絵のとおり、ピパは蛙とは思えぬ平べったさで、頭部は三角形、全身が褐色、後ろ脚の水かきは異様に大きく、ばんざいの姿で川底にひそんでいる。何より目を惹くのは背中で、メスはオスから背の皮膚に受精卵を何十個も埋め込まれる。子はオタマジャクシの時期も背中の壺状の穴で過ごし、一定期間を過ぎると次々に蛙の姿で飛び出してくるのだ(メスは痛くないのだろうか?)。画面左に小さな子蛙が描き加えられている。

 現代人は百科事典もあるしネットで動画も見られるが、メーリアンの絵で初めて知った人の中には、本当にこんな薄気味悪い蛙がいるのか疑った者もいたという。それはそれで反響が大きかったわけで、メーリアンがオランダの科学界と絵画界に巻き起こした旋風がわかる。オランダ人の「見たい、知りたい、集めたい」の情熱を十全に満たした図譜であった。

 メーリアンの業績は20世紀後半に再評価され、ユーロになる前のドイツ通貨500マルク紙幣の顔にもなった。これほどの著名人なのに、なぜか日本ではあまり知られていないのは残念だ。