――残酷なシーンだからこそ描ける、人間の深層心理みたいなものもありますしね。
大瀬戸 例えば『凶悪』という映画の中でピエール瀧さんとリリー・フランキーさんが家族でめちゃくちゃ楽しんでいるシーンがあるんです。割とあれは衝撃を受けました。2人は作中では殺人も厭わない極悪人として描かれているんですけど、こんな悪人にも子供がいて、ちゃんと生活している。でも、悪いことをするときはするんです。それを描いている感じがすごいなと思って。実際の事件とかでも、もちろん犯人を肯定はしないですけど、彼らの心理を考えたりはしますね。そういう部分は漫画にも活きているのかなと思います。
「演出」で悪い人に描くだけでは魅力が出ない
あとは割と韓国映画が好きで、全般的に影響は受けている気がします。ナ・ホンジン監督の『哭声/コクソン』とか『チェイサー』とか『悪魔を見た』とか。韓国映画のサスペンス作品は会話のやりとりとかが絶妙にコミカルなのに、暴力シーンはすごく生々しい。そういう落差にも魅力があるのかもしれません。
――こういったジャンルの作品は、単に過激であればいいというわけでもないのが難しいところだとも思います。描くときに大切にしている要素はどんなところでしょうか?
大瀬戸 やっぱり「ただ人がどんどん死んでいけばいい」というわけではないと思うんです。暴力をふるう側も、ふるわれる側も、とにかく生活している感というか、いま生きている感じが出ないといけない。あとは、できるだけウソをつかないようにその人たちを描くことが大切だと思っています。ひどい暴力をふるう人物が居たとして、もちろん彼は俯瞰で見たら悪人なんですけど、その人からしたら切羽詰まってやっているのかもしれない。その人にとっては暴力が生活の一部なわけですよね。「演出」で悪い人に描くだけでは魅力が出ないんだと思います。その背景にあるいろんな要素が滲み出て初めて、暴力描写や凄惨なシーンが魅力的に見られるのだと思います。
エログロを楽しむ気持ちにウソはない
なので、描く側としては退場しそうになったキャラに対しても気持ちを切らさないで描かないといけないなと思います。結局、描く方も生きている人が好きなので、漫画の中でも死ぬことが決まったキャラクターはどうしても興味が薄れてしまう。でも、死ぬ人もその瞬間までは生きているわけじゃないですか。そのギリギリまでちゃんと自分が描いてあげたいなと思います。
――『影霧街』という作品を通じて読者に伝えたいことは?
大瀬戸 やっぱり自分はすごく「ウソが嫌い」というのがあって。逆に言えば、エロやグロの場面で読者が楽しんでくれるところには、ウソがないのかなと。漫画を読んでくれる皆さんの、そういう部分に届くものが描ければいいのかなと思っています。