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顕著になっていく母のアルコール依存

 また、この頃から母はアルコール依存症の症状も出始めていて、お使いで母の飲むお酒を買いに行くこともありました。母は飲むお酒の量はそれほど多くありませんでしたが、少ないお酒でも酔っ払い、元々右半身の麻痺で転びやすいにもかかわらず、さらにフラフラになり、とても自分で自分の身体をコントロールできるような状態ではありませんでした。

 お酒を飲んでいる時の母は怖かったです。目は据わり、呂律は回っておらず「いつものお母さん」とは全く違いました。一度、あまりの怖さに泣いてしまった事がありました。母が「何泣いてるんだよ!」と言ってきたので、勇気を振り絞って「ママがお酒を飲んでるから」と答えると「飲んでないよ」と返ってきました。子どもから見てもお酒を飲んでいるのは明らかなのに、噓をつかれたのがとてもショックでした。

 母はある程度文字は読めますが、文章を読んでいると今読んでいる箇所がわからなくなるので、読み聞かせが下手でした。体もうまく動かせないので、かくれんぼや鬼ごっこで遊ぶこともできませんでした。それでも、それに対して「嫌だ」とか「他の大人に比べておかしい」とは思っていませんでした。私にとっては障害のある状態の母の姿があたりまえでした。ついでに言えば、父も片腕しかない姿があたりまえだと思っていたので、義手をつけているのを見ると怖がって泣いていたそうです。

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 小学校高学年になると、母のアルコール依存は顕著になっていきました。ほぼ毎日、夕方くらいからお酒を飲み始め、酔っ払った状態で台所に立っていました。フラフラの状態でガスコンロを使おうとするので危険でしたし、料理は料理と呼べる状態でなく、お皿や台所がベロベロに汚れていました。父は仕事を終えて帰ってくるとあまりの惨状に声を荒らげて母を叱責しました。

 このできごとを、翌日なんとなくクラスの友達に話したことがあります。すると友達からは「わかる。夫婦げんかってウザいよね。かと思えばラブラブ過ぎてウザいこともあるしさ」と返ってきました。私としては「我が家の場合は夫婦げんかと呼ばないんじゃないかな?」と思いました。母は元々子どもみたいな人でしたが、お酒を飲むともはや全く言葉が通じず、子どもどころか別の生き物のように感じることさえありました。

 そんな母と、片腕が無いこと以外は一般的な1人の大人である父とは、対等な立場にあるとは全く思えませんでした。それぞれ自立した大人同士がお互いの意見を言い合っている「夫婦げんか」とはかけ離れていると思いました。話をした友達が日々あたりまえに目にしている「夫婦げんか」と、私が目にしている「夫婦げんか?」はきっと違うのだろう、自分にとってのあたりまえと他人にとってのあたりまえは別物なのかもしれない、と思うできごとでした。

 そもそも、お酒を飲む前から母は自立した1人の大人とは呼べず、誰かの助けがないと生きられない、特に父がいなければ母は生きられないのではないかとこの頃からなんとなく気がつき始めました。父に見捨てられたら母は終わりだと思っていました。ただでさえ、母が家事をするとかえって余計な仕事が増えて大変なのに、その上お酒まで飲んで、どうして父にも私にも迷惑をかけるんだろうと思っていました。仕事に行って帰ってきて、家でゆっくりできない父がかわいそうでした。そのうち父にも我慢の限界が来て離婚されたらどうするんだろう、申し訳ないけど父についていかないと私も生きていけないだろうなと思っていました。父は母の面倒を見るだけでも大変なので、私はなるべく迷惑をかけないようにしようと思っていました。