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起きている間はずっと母を気にかけなければならない

 母は生活の中でも食事をしたり着替えたりといった身の回りのことは自分でできますが、家事や電話、通院などになると1人でこなすのは難しくなります。しかし、母の状況に合った介護サービスはなかなか見つからなかったので家族がケアを続けてきました。

 リハビリも兼ねて家事は母の仕事ということにしていましたが、うまくできないので、母が一度やった家事を家族がもう一度やり直す必要がありました。料理は肉を生で出したり、麻婆豆腐の素がそのままお皿に出されただけだったり、レンジでチンすらまともにできませんでした。洗い物も上手にできず、洗い残しばかりだったので、いざ洗い直そうとすると食器洗い用のスポンジもベタベタしていて、まずそこから洗い直さなければなりませんでした。

 家の中も汚くて、例えば何かこぼしてもこぼしっぱなしにしていたり、本人は拭いたつもりでもよく拭けておらず、かえって汚くなっていたりしていて、掃除をしてもしても追いつかず、家の中が綺麗な状態で保たれていることはありませんでした。「私がやるから、お母さんは触らないで」と言っても忘れられてしまったり、本人はできているつもりなので「なんで!」と怒ったり、本人なりの生活パターンが崩れることを嫌がったりして、結局見ていないうちに何かしらやらかしていて、それを1つ1つ後始末していくのが主なケアでした。

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写真はイメージです ©iStock.com

 いつ何をされるかわからないので、常に気にかけている必要がありました。母は歩行が不安定ですが、それを自覚して自分で転ばないように注意するということができないため、家の中でもよく転びます。別の部屋で「ドーン!」と大きな音がしたら、自分が今やっていたことをいったん中断して様子を見に行かなければなりません。また、何をされるかわからないといえば、2011年の東日本大震災の際、断水に備えてトイレのタンクや浴槽に水を溜められるだけ溜めていましたが、目を離した隙に、母はトイレの水を流し、お風呂を沸かして入っていました。

 ヤングケアラーに対するアンケートの中に、「1日何時間程度ケアをしているか」という項目がありますが、私のような場合は何時間と答えれば良いのか悩みます。母に対して直接ケアをしている時間はそれほど長くありませんが、母を気にかけていなければならない時間は起きている間ずっとになります。

 私はヤングケアラーという言葉を初めて知ったとき、すぐには自分のことだと思えませんでした。1日の中で、決まった時間を割いて母に食事をさせたり排泄の面倒を見たりするわけではないため、自分がしていることがケアだという認識が持ちにくく、かと言って、自分のしていることを他になんと呼べばいいのかもわかりませんでした。

 ケアに関する記憶で最も古いのは、2~3歳の頃から1人でお使いに行っていたことです。まだ三輪車に乗れず、キックボードで近所のスーパーに行っていました。父としては、私がもう少し大きくなってから、陰から見守りながらお使いデビューをさせたかったそうですが、母が勝手に私をお使いに行かせていました。それが発覚したのは、たまたま出かけていた父が車で帰ってくる時に、道ばたに1人で歩いている小さな子どもを見つけて、それが私だったからだそうです。母には小さい子どもを1人で外に出しては危険だという判断ができませんでした。