家族の世話や家事を行う子どもたちを指す「ヤングケアラー」。中学校の1クラスに2人はいるというヤングケアラーが、誰からのサポートを得られないまま家族のケアの負担を強いられると、学校生活にマイナスの影響が出ることもある。
ここでは、ヤングケアラーの実態調査や体験談を記した澁谷智子氏の著書『ヤングケアラーってなんだろう』(筑摩書房)から一部を抜粋。同書に自身の体験談を寄せた元ヤングケアラーの髙橋唯さん(24)。障害を持つ両親をケアしていた彼女は、高校時代にどのような葛藤を抱いていたのだろうか——。(全2回の2回目/1回目から続く)
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高校時代は「普通じゃない」と認めるのが怖かった
勉強した甲斐があって、高校は進学校に入学する事ができました。私の通っていた高校では6月に文化祭があったので、入学後すぐにクラスで文化祭の準備が始まりました。しかし、私はあまり関心が持てず、いつも自分の席で勉強をしていました。
ある時、教科書を読んでいて、ふと顔をあげると、前の席の子の机に大量の紙が山積みになっているのが目に入りました。前の席の子は、その紙をホチキスで留めて文化祭のパンフレットを作っているところでした。大変そうだな、とは思いましたがなかなか「手伝おうか?」と声をかけることができなくて、結局自分の勉強を続けました。本当は声をかけたかったのに、なかなか言葉が出てきませんでした。こういう場面に遭遇することはごく普通にあり得ることなのに、今まで周りを一切見ないように気をつけていた私にとってはほぼ初めての経験で、どうしたらいいのかわからなかったのです。ここで、やっと中学校の担任の先生が言っていたことが理解できました。私は本当に今まで周りを見てこなかったんだ、これからは気をつけなくちゃ、と思いました。
そこで私は忙しくしていた手を止めて、一度周りをよく観察してみることにしました。それは私にとって、とても勇気がいることでした。きっと、今まで見ようとしてこなかった我が家と周りの同級生の家庭との違いが見えてしまう。なんとなく我が家は周りと違うことはわかっていたけれど、いざ改めてその現実を直視したら、今まで私が育ってきた環境が「普通じゃない」と認めざるをえないことが怖かったのです。
両親は障害があっても健常な人と同様に子どもを育てられると思って私を産んだのだろうから、私は普通に育たなきゃいけないと思っていました。両親に障害があるせいで普通に生きられなかったなんて絶対に言えないし、むしろ両親に障害があってもこれだけ立派に育ったと言われるくらいにならなければ両親に申し訳ないという気持ちからも、自分を忙しく追い込んでいたのかもしれません。