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付き合っていた彼は障害者のことをあまり良く思わず……

 私は当時付き合っていた人がいました。彼にもなんとなく母の話をしてみましたが、彼は小学生の頃に知的障害のある同級生に給食を勝手に食べられてしまった経験があるそうで、障害者のことをあまり良く思っていないようでした。

 彼の両親は彼を溺愛していました。彼の部活の試合を毎回見に来て、ビデオに撮ってくれていたそうです。彼はそんな両親の愛情を一身に受けて育った人でした。彼は部活を頑張っていて、大学も部活を続けられる所を推薦で受験していました。部活に打ち込む彼の姿が好きでしたが、彼が活躍すればするほど自分は勉強も部活も何も頑張っていないように思えてきました。彼にとっては、部活で活躍するために日々努力できる環境があることがあたりまえで、その環境において努力しないことは怠けているという認識のようでした。

 いつしか、彼や周りの同級生があたりまえに持っているものを私は持っていないんだ、私は欠陥品なんだとさえ思うようになりました。見た目には他の同級生と同じように見えているかもしれませんが、足りない部品がたくさんある私は人間の形をして教室の自分の席に座っているだけで精一杯でした。それでも他の人と同じように歩いたり走ったりすることが期待されているし、そうしなければ生きていけません。もし見た目から私が欠陥品であることがわかれば周りからの期待もなかったかもしれませんが、同時に他の人と同じように生きる権利もなかったと思います。

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写真はイメージです ©iStock.com

 欠陥品の私は人並みになるために人より努力しなければと思い、中学生の時のように自分を忙しく追い込もうとしましたが、また周りに気を配れない自分に戻ることが嫌で、うまく努力できなくなっていました。そして、努力したところで私に欠けているものはこの先も手に入らないということはわかっていました。それは誰のせいでもないので誰を責めることもできませんでした。欠陥品の私は将来どうなるのか不安でした。もしこの先誰かと家庭を持つことになっても、きっとその相手や相手の家族があたりまえと思ってきた生活と、自分があたりまえと思ってきた生活はかけ離れていて、とても理解し合えるとは思えませんでした。

 同じような話で、この頃の私はよく「川の流れ」を思い浮かべていました。人生や時間の流れが川のようになっていて、みんなその川を泳いでいくのですが、母にとってはその川の流れは速すぎます。泳げずに沈んでいきそうになっている母を助けようとするのですが、母を背負ったらさすがに自分も泳ぐのが大変で、なんとか沈まないようにもがいているようなイメージを持っていました。

 母を置いてでも私はみんなと同じように川を泳ぎ進めていくのがいいのか、それとも母と一緒にここで沈んでしまったほうがいいのか。本当は母と一緒にもっと流れの遅い川を泳いで行けたら良いのかもしれないけれど、現実的にはそれはできないな、と思っていました。