恐る恐る教科書をしまって教室を見渡すと、パンドラの箱を開けたような気持ちになりました。毎日お母さんが作ったお弁当を持ってきている子、塾で帰りが遅いと親に迎えに来てもらえる子、大学の見学に親が一緒に行ってくれる子。音楽が好きな友達はお母さんと一緒にライブに行ったと話してくれました。みんな、私と住んでいる世界が違うのだろうなと思いました。
同じ教室にいて同じ授業を受けているはずなのに、きっと彼ら彼女らの過ごしている高校生活と私の過ごしている高校生活は別物。外から見れば私もその教室にいる1人に見えているのかもしれないけれど、実際には周りのみんなとは同じ場所にいないような感覚になりました。
きっと今この時だけに限らず、みんながこれまであたりまえに過ごしてきた日々も、私が過ごしてきた日々とは違うのだろうなと思いました。もちろん、みんながみんな恵まれた環境の人ばかりではなかったかもしれませんが、進学校という性質上、子どもを大学に行かせられるだけの余裕があって、親も子どもの将来に関心がある家庭で育った同級生が多かったので、みんな学校生活に集中できているように見えました。勉強が得意な子や部活で活躍する子を見ると、キラキラと輝いて見える半面「家に帰ったら身の回りのこと全部親がやってくれるなんて甘ったれだな」「自分のことだけ頑張っていればそれだけで評価されるなんて羨ましいな」とも感じていました。
進路相談時に高校の先生に言われた言葉
当時、母はアルコール依存症がますます悪化したのでついに投薬治療を始めました。病院に提出するための記録は父がつけていましたが「酔っていたので娘が寝かしつけた」と書かれている日も多くありました。みんなは家に帰ったらきっとテレビを見たり宿題をしたりしていて、お母さんを寝かしつけて、汚された台所を片付けるということはないんだろうなと思いました。
みんなは家で勉強する時間がとれるけど、私はとれないのだから、その分学校で勉強がしたい。でも、それをやり過ぎて中学校では叱られてしまった。自分でも周りに関心を持たないことはいけないことだとわかっている。私は忙しく過ごすことを自分を守る盾にしていたのだと気がつきました。中学校の担任の先生は正しいことを言っていましたが、当時の私にとっては大事な盾を取られてしまったような気分でした。
大学受験では、地元の私立大学を受験しました。高校の先生に進路を相談すると「なぜ地元の大学にするのか」と聞かれました。明確な理由があったわけではありませんが私は実家から遠くの大学は視野に入れていませんでした。なんとなく家の事情を話して、親が心配だからと答えてみたところ、先生は「お母さんだって大人だから、あなたがいなくてもなんとかなるよ」と言いました。今思えば、親に縛られず、自分は自分のことをすれば良いということだったのかもしれませんが、当時は「先生はお母さんに会ったことないのに何言ってんのかな」くらいに思うことしかできませんでした。