学生時代はとにかく孤独だった
「ノーマライゼーション」(障害者を含む多様な人々が社会に存在していることがノーマルな状態であるという考え方)が普及し、昔よりも障害者が差別をされることやハンデを負わなければならない場面は減ってきているのかもしれませんが、それでもやはり障害者が健常者と同じ生活をするというのはまだまだ不可能に近いと感じています。
私は健常者なので、他の健常者と同じように生活をしていかなければなりませんが、母は健常者と同じように生活することは難しいです。健常者の私が障害者の母に合わせて生活するのも、学校に行ったり仕事に行ったりしながらだと難しいです。親子なのに住む世界が分かれているような感覚になることもあります。健常者の世界で生きている同級生とも、障害者の世界で生きている母とも、私は違う世界にいるような感覚で、私はこの世界に生まれてきて正しかったのか、欠陥品の私はこの世に存在していることが間違いなのではないかと思うことすらありました。
当時は学校の中の世界しか知らなかったので、同級生と自分を比べて悩みすぎてしまっていた部分もあるのかもしれません。学校というのは限られた地域の同年代を集めただけの場所に過ぎず「世の中に出ればいろいろな人がいるということが普通」ということが、ある程度大人になればわかるようになりますが、学校の中にいるあいだはそこだけが自分の知る世界になりがちだと思います。
その世界における「普通」と自分を比べてつらくなってしまう人はヤングケアラーに限らずたくさんいるのではないでしょうか。学生時代の私は、とにかく孤独でした。大人になってからヤングケアラーという言葉に出会い、同じような経験をしてきた仲間に出会って「1人じゃないんだ」とわかり、少し楽になりました。