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 Bサイトは次第に混み出し、午後6時過ぎにお開きにするころには、テントでほぼ満杯状態だった。出たゴミは先輩が引き取ってくれ、自分の食料や食器類はテントの中に入れた。食料はパックの白米とレトルトのカレーを2個ずつ、チーズ入り蒲鉾(かまぼこ)とカルパスを2本ずつ、ミックスナッツ2パック、クラッカー2パック、ドライクランベリーとピスタチオを持っていたが、ほとんど手をつけていなかった。もし匂いが漏れるとしたら、来る途中の道の駅で買ったおいなりさんぐらいしかなかった。

 自分のテントに引きあげて就寝したのが午後7時ごろ。暑かったのでシュラフ(寝袋)には入らず、マットの上に横たわったままで寝た。時間はわからないが、一度、雨の音で目が覚めた。しかし、またすぐに眠りに落ちた。

真夜中に起きた恐怖のテント襲撃

 その後、テントが揺れていることに気づいて再び目が覚めた。時刻は午後11時半ごろ。「なんで? 地震?」と思った次の瞬間には、足元の方向に引っ張られるようにテントが動き出した。テントは1~2人用の細長い長方形で、何者かがフロアの短辺部を持って引きずっているかのように、強い力で引っ張られた。その力の強さから、なんとなく「クマだろうな」と感じたが、状況を把握しようとするのに精一杯で、なにもできないまま横になっていた。

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 途中でスピードが加速し、キャンプ場の明かりに照らし出された木立の影が、テントの壁に流れるように映し出された。それはトンネルの中を車で走っているような感覚だった。このままでは誰にも知られずに連れ去られてしまうと思い、引きずられているときに、一度だけ「助けてください」と叫んだ。

 間もなくして引きずられるのが止まった。のちにそこはトイレの裏手にあたる場所だとわかったが、キャンプ場の明かりは届いていた。テントの壁の布地に大きな影が立ち上がるのが映ったように見えた次の瞬間、テントが一瞬のうちに引き裂かれ、何者かが浅山の黒いスウェットパンツの裾をくわえて引きずり下ろした。浅山にクマの姿を見た記憶はないが、なにか黒いものが動いていた印象はある。スウェットパンツは、器用に片足ずつ抜いて脱がされたという。

「その後、足元で黒い大きな生き物が両腕を振り回しているような仕草をうっすらと感じました。もう死ぬ、と覚悟しました。今振り返ると、私は恐怖のあまり、一瞬気絶していたのではないかと思います」

被害女性が幕営していたテントサイト(写真提供=浅山忍・仮名)

 そう浅山は言う。以下は朝日新聞社の言論サイト「論座」(2020年9月20日)に掲載された浅山の手記からの引用である。

そのあと――なぜか静かになった。2本のテントポールが交差するアーチの向こうに夜空が見える。真横は笹やぶだ。10 秒ぐらい数えただろうか、周囲は無音のままだ。動いていいのか? まずいのか? 悩みながらも、腹筋を使って体を起こしてから、クマに背を向け、腰を低くして走って逃げた。体を起こしたとき、テディベアのようにだらんと座る、うつむき加減のクマの頭部が暗がりに見えたように思う。耳が大きく愛らしく見えた。立ち上がってすぐ、焦って転んだが、起き上がって再び全力で走った

「クマに遭遇したときには背中を見せて逃げてはいけない」というのは頭にあったが、そんな余裕はなかった。そこがトイレの裏手だということはすぐにわかったので、低い体勢で走って逃げ、扉を開けて女性用トイレに駆け込んだ。

 トイレの中で剝き出しの足を見て、初めて負傷していることに気づいた。右膝の横の肉がえぐれて、直径8センチほどの範囲の傷となっていた。出血は少なかったが、トイレに備え付けのトイレットペーパーで傷を押さえた。