壮大な山の自然を感じられる登山やキャンプがブームになって久しい。しかし山では、「まさかこんなことが起こるなんて!」といった予想だにしないアクシデントが起こることもあるのだ。
ここでは、そんな“山のリスク”の実例や対処法を綴った羽根田治氏の著書『山はおそろしい 必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(幻冬舎新書)から一部を抜粋。小梨平キャンプ場で起きたクマによる人身被害を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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「クマが目撃されているから気をつけてくださいね」
岐阜県との県境に近い長野県松本市の西端、梓川(あずさがわ)の上流部にある標高約1500メートルの上高地は、日本を代表する山岳観光地のひとつ。槍・穂高連峰の登山基地としても広く知られており、シンボル的存在の河童橋(かっぱばし)から仰ぎ見る穂高連峰の景観はつとに有名だ。
その上高地の自然林のなかに整備された小梨平(こなしだいら)キャンプ場は、バスターミナルから徒歩約10分という好ロケーションにあり、春から秋の開設期間中は、大勢の登山者やキャンパーらで賑わっている。
浅山忍(仮名・50代女性)がこの小梨平キャンプ場を訪れたのは、2020(令和2)年8月8日のことである。大学時代に山岳部に所属していた浅山は、卒業後も登山を続け、1ヶ月に1回ほどのペースでコンスタントに山に登っていた。しかし、ここ3、4年ほどは山に行く機会が減っていたため、小梨平キャンプ場に2泊し、明神岳(みょうじんだけ)中腹のひょうたん池や徳本峠(とくごうとうげ)を往復するなどして足慣らしをするつもりだった。
上高地には高速バスで正午過ぎに到着し、歩いて小梨平まで行って受付をすませた。その際に、「クマが目撃されているから気をつけてくださいね」と口頭で注意があった。
キャンプ場には大学山岳部OB会の先輩2人がひと足先に入っており、翌日、もうひとりの先輩が合流する予定だった。テントは3人ともBサイト(A~Lの12エリアに区分されている)に設営した。新型コロナウイルスの感染対策のため各自ソロテントを持参しており、浅山はサイトのいちばん端、道を挟んだトイレの向かい側にテントを張った。雨除けのフライシートは四隅にペグ(杭)を打ってしっかり固定したが、風で飛ばされる心配はなさそうだったので、テント本体にはペグを打たなかった。
幕営後は屋外のテーブルで先輩2人とお酒を飲みながら歓談して過ごし、夕方ごろには酒とつまみでお腹が一杯になった。夕食は各自で用意しており、浅山はパックの白米とレトルトのカレーを食べるつもりでいたが、先輩がつくってくれたパスタを分けてもらってすませた。