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 トイレの扉を細く開けて外の様子をうかがうと、クマは確認できなかったが、ちょうどトイレから男性が出てきたところだった。先輩のテントまではわずか数メートルの距離だったが、ひとりで歩くのは怖かったので、男性に「クマに襲われたので、仲間のテントまで付き添ってください」と声を掛けた。下半身は下着だけしか穿いていなかったが(足には靴下を履き、上半身には薄手のダウンジャケットを着ていた)、この際、気にならなかった。

 男性が「いいですよ」と言ってくれたのでトイレから出たときに、別の男性が駆けつけてきた。浅山の悲鳴を聞いて誰かがキャンプ場の管理事務所に連絡を入れたそうだ。彼は「クマを監視するためにボランティアで巡回をしている」と言った。のちに、この男性は野生動物の長期生態研究を行なっている大学教授で、キャンプ場からの依頼を受けてクマ対策に携わっていることを知った。

 先輩2人はテントの中で寝ていたが、「クマに襲われたので起きてください」と呼び掛けると、テントの中に入れてくれた。とりあえず止血のために右の太腿(ふともも)を縛ってもらい、ズボンを貸してもらった。手渡されたポカリスエットがありがたかった。

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 間もなくキャンプ場の管理者が車でやってきて、「救急車を呼びました。上高地の診療所まで送ります」と言った。そのころから体が震え出し、しばらく止まらなかった。傷は痛んだが、耐えられないほどではなかった。診療所で応急手当を受けたとき、医師からは「死んでもおかしくなかった。不幸中の幸いだ」と言われた。その後、先輩ひとりに付き添われて、救急車で松本の病院に搬送された。

クマはトイレの裏側までテントを引きずっていった(写真提供=浅山忍・仮名)

心身に負った深い傷とクマのその後

 病院に到着したときは、日付が変わった9日の午前2時35分になっていた。まずは新型コロナウイルス感染症対策のための抗原検査とPCR検査を行なったのち、裂傷の縫合手術を受けた。右膝の横には長さ8センチほどの裂傷が2列平行についており、深いほうの傷を8針縫った。検査の結果はいずれも陰性だった。

 手術後、「ホテルに行きますか、入院しますか」と聞かれたので、「入院します」と答えた。断続的な震えはおさまらず、右足全体が腫れて熱っぽく、体温も一時は38度以上にまで上がった。

 午前中に松本警察署の警察官がやってきて、20分ほど事情聴取を受けた。昼ごろにはもうひとりの先輩が浅山の荷物を回収して病院に届けてくれた。その先輩から、テント内にあった食料が食べ尽くされていたことを聞かされた。白米のパックやレトルトカレーは爪できれいに引き裂かれ、紅茶が入っていたプラスチックボトルのスクリューキャップは器用に開けられていたという。

クマに食料などを食べ散らかされた跡(写真提供=浅山忍・仮名)

 病院には午後2時ごろまでいて退院し、その日のうちに先輩の車で帰京した。帰宅したのちは9月下旬まで通院が続き、過敏になる、社会的関心が低下する、胃の痙攣(けいれん)が続くなどショックの後遺症と思われる症状も2ヶ月ほど残った。受傷部の神経は切れていて、完治するのに1、2年かかると医師に言われた。

 事故後、小梨平キャンプ場は閉鎖となり、環境省中部山岳国立公園管理事務所は周辺3箇所にワナを仕掛けて巡視を続けた。そして8月13日早朝、キャンプ場から直線距離にして約400メートルの位置にある「ザ・パークロッジ上高地」のホテル敷地内にクマが姿を現したため、麻酔銃で銃撃。いったんは逃走されたが、やがて現場近くで死んでいるのが発見された。回収したクマは雄の成獣で、体長約1.4メートル、推定体重150~170キロ。大きさなどから浅山を襲ったクマと同一個体と推定された。