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「このカメラマン、大丈夫?」と思わせたら“こっちのもの”…プロ写真家が明かす、自然な笑顔を撮るための“意外なテクニック”

『写真はわからない 撮る・読む・伝える――「体験的」写真論』より #1

2022/06/02

genre : エンタメ, 読書

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 でも慣れというものは確かにあって、あるときからそんなことはなくなった。逆にアドレナリンが頻出する場面が増えてきた。それは一種の快感といってもいいし、闘志が燃えるといってもいいかもしれない。目の前の方が有名だったり、大物だったりすると、まだ誰も撮ったことのない表情を自分が初めて撮るのだ、というより強い気持ちを抱くようになった。

40を過ぎたら、今まで聞けなかったことが聞けるように

 実際に撮り出すと、時間の感覚が消える。撮影を終えたとき、10分間の撮影時間だったのか、あるいは30分間くらい経過したのかまるでわからない。それだけ集中しているということだろう。

 40歳を過ぎてからこの技を確立したというのは、それまでの経験ももちろんあるが、世の中でいう「おじさん」の部類に自分が入ってきたことが何より大きい。一種の「開き直り」ができるようになったのだ。何よりポートレート撮影はどれほど短い時間であっても、一対一の関係になる。通常の人間関係でも初対面では性別、年齢(自分より年上か年下なのか含め)、立場などが重要なのと同じだ。このことは絶対に無視できない。

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©iStock.com

 若い頃、撮影中に自分からは絶対に聞けないことがあった。それは「最近聞いてる音楽ってなんですか?」といったものだ。無難な話題としてとても適していることはわかっていたが、絶対に聞けなかった。自分がまったく音楽の流行に詳しくなく、コンプレックスさえ抱いていたからだ。それが40を過ぎたら、若い方に対して平気で聞けるようになった。

 聞いたところで、私が知っている曲名が返ってくることはまずない。そのことは織り込み済みだ。

どんなに年齢が離れた年下でも、常に敬語で接する

「最近、どんな音楽聞いているんですか?」

「○○○○○というグループです」

「……ごめん、おじさんだから、若い人の流行りはわからなくて……」

 すると目の前の若者は苦笑いする。

「それって、どんなグループですか? K‐POPとか……」

 わからないまま会話を続けることはできる。やはり、おじさんだからだ。これで相手の緊張がとける。ジェネレーションギャップを味方につけられる。ここでもまた空回りしていることが何より重要だ。

 自分が若い頃は「知らない=流行に疎い=センスが悪い=いい写真が撮れない」と思われるのが怖かった。そんな連鎖が抑えられなかった。これもまた、過剰な自意識の表れだろう。40を過ぎて、それから解放された。

 私が恥ずかしい存在になって空回りすると、撮られる側は楽になる。するといい表情を必ず引き出すことができる。私はそう信じているし、実感している。もちろん目の前の相手を尊重する気持ちが大切だ。撮っているのではなく、撮らせていただく。だから、私はどんなに年齢が離れた年下でも、常に敬語で接することにしている。それらを疎かにするとあっという間に足をすくわれる。