数々のスクープ写真で知られる報道カメラマンの宮嶋茂樹さん(60)こと不肖・宮嶋は2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、日本メディアのほとんどが現地入りを躊躇していた3月5日、ポーランドから陸路でウクライナ入りした。3月12日にはロシア軍が13キロまで迫っていたキーウへ。以降4月17日に出国するまで各地で取材を続けた。

不肖宮嶋、最後の戦場取材へ 「こりゃ報道の神から見放されたわ」ウクライナ西部リビウに辿り着いたカメラマンが見た“戦時下の光景”

 5月中旬、不肖・宮嶋は再びウクライナへ。同国第2の都市ハルキウでは、ロシア軍が撤収したとされる現在でも砲声が止む様子はない。不肖・宮嶋が見た「戦争の真実」を緊急レポートする。

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特に高層のためロシア軍から集中攻撃を受けた。ほとんどの住民は避難したが、それでもこの火力で襲われ、一日20人以上の死傷者が出た 撮影・宮嶋茂樹

第2の都市ハリキウ市5区のすべてのインフラが破壊される

 1週間前は町中から人影が消えたハルキウ(ハリコフ)だが、徐々に市民が戻りつつある。今や日本の新聞、テレビの報道機関まで出張るようになったというからには、かなり安全になった証拠でもあろう。

 ロシア国境からわずか40kmの距離にある、ここ、ウクライナ第2の都市ハルキウ。

 IT産業や工業がさかんな人口150万の都市であるが、ロシア国境に近いことから、ロシア軍侵攻直後からすさまじい攻撃にさらされた。とくに東部に位置したこのあたりは昼夜問わず、大小無数の砲弾、ロケット弾が降り注ぎ、ロシア軍が周囲から撤収したとされる現在もいまだ砲声がやむことはない。

ウクライナ最大の工業都市ハリキウのベッドタウン、サルティウカ地区。高島平の数倍の規模の団地がゴーストタウンと化した 撮影・宮嶋茂樹

 東京都板橋区の高島平の数倍の団地群がもろ標的になったのである。

 1棟に1発や2発やない。数え切れんロケット弾が突き刺さり、次々に炎に包まれたのである。家具も部屋も燃え落ち、水道、電気、ガスすべてのインフラが破壊され、人が住める状態やないのである。商店もレストランも軍民問わずロシア軍は標的を選ばない。