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地下鉄の再開のため、避難民はドミトリーへ

 それでも我が家のほうがええに決まってる。しかし、帰るべき家はすでに灰にされたのである。憎むべきは、家を国土を蹂躙したロシア兵である。そんなロシア兵を追い払ったとはいえ、いまだ砲声は絶えず、市民はひょっとして永久に我が家に帰れないのではと不安がもたげ、ますますイライラが募り、毎日顔を出すカメラマンに当たり散らすことになる。

 それもわかるで。ウクライナはその北部にチョルノービリ(チェルノブイリ)もある。あそこも36年前の原発事故以降いまだ故郷に帰れない国民が多くいるのである。その悪夢がいやが応でも蘇るのであろう。

かろうじて焼け残った机やいす、家具などを長引く避難生活に備え持ち込む住民もいたが、簡易ベッドはハルキウ市や地下鉄側から貸し出された 撮影・宮嶋茂樹

 この22日、市民の帰還にそなえ、また地下鉄の再開のため、地下鉄に避難していた市民の地上の公共施設を利用したドミトリー(寮)への移住が始まった。

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ロシア軍の攻撃で顔面を負傷した若い村娘が語った一言

 地下から地上に上がった住民に挨拶代わりにとでもいうのだろうか、ロシア軍の砲撃が始まった。郊外のツルクニ村に次々着弾しており黒煙が上がりだした。このハルキウ郊外の村々にはロシア軍が長く居座り、これまでもこの集落からハルキウに攻撃をくりかえしていた。

ロシア軍に占拠されていたデルガチ村、ロシア軍はまるで嫌がらせのように文化センターを破壊していった。それを見つめたウクライナを代表する詩人シェフチェンコの像はさぞかし嘆いたであろう 撮影・宮嶋茂樹

 またロシア軍が首都キーウを包囲していたころは数十キロにも及ぶ長い補給路が停滞させられていた地域でもある。ロシア軍はこの辺りから国境近くまで撤収したあとも嫌がらせのように砲撃をつづけているのである。

 集落を回るうちにこのすさまじい砲撃下にも避難せずロシア軍の攻撃で顔面を負傷した若い村娘とその母親に遭遇した。レンズを向けるのもためらうひどい傷を顔面に負った娘はこんなワシに「撮って報道してくれ」と言ったのである。

 地上は地獄だが、地下にまで砲声は届き恐怖は同じである。こんな生活がいつまで続くのか。

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。