数々のスクープ写真で知られる報道カメラマンの宮嶋茂樹さん(61)こと不肖・宮嶋は2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、日本メディアのほとんどが現地入りを躊躇していた3月5日、ポーランドから陸路でウクライナ入りした。3月12日にはロシア軍が13キロまで迫っていたキーウへ。以降4月17日に出国するまで各地で取材を続けた。

不肖宮嶋、最後の戦場取材へ 「こりゃ報道の神から見放されたわ」ウクライナ西部リビウに辿り着いたカメラマンが見た“戦時下の光景”

 5月中旬、不肖・宮嶋は再びウクライナへ。同国第2の都市ハルキウでは、ロシア軍が撤収したとされる現在でも砲声が止む様子はない。不肖・宮嶋が見た「戦争の真実」を緊急レポートする。

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戦闘に巻き込まれたハルキウ外国語学校へ

 不肖・宮嶋がハルキウにやってくる2日前に地元プレスセンターが立ち上がった。その名も「ハルキウ・メディア・ハブ」。不肖・宮嶋は大新聞、大テレビ局と違い、いかんせん単身のフリーカメラマンである。どんな情報ももらえるもんはなんでも欲しい。で、早速顔を出し、こちらからの要望もまあただでは無理かいなといくつか提案させていただいた。

 その2時間後のことであった。そのメディア・ハブにゼレンスキー・ウクライナ大統領が顔を出し、さらに東部戦線の部隊を視察したという情報がリリースされたのは。票にならんことはいっさいやらん岸田首相はじめ日本の政治家にはとてもまねできんことや。

 そんなメディア・ハブにあげていたわしの要望が通ったと連絡がきたのである。それは市内でロシア軍の砲撃被害が最も激しかったサルトゥフカ地区への取材の行き帰りに前を通りかかっていたハルキウ外国語学校校内の取材であった。

もはや学校か刑務所かの区別もつかぬ破壊である。卒業生、いや現役の学生、教職員らの嘆きは察するにあまりある。ロシア軍は彼ら、彼女ら、若者らから教育の機会も奪ったのである 撮影・宮嶋茂樹

 実はロシア国境から近いハルキウ市はロシア軍侵攻当初、市内中心部近くまでロシア軍の小部隊だが、斥候に侵入される事件があった。その斥候部隊に一時占拠されていたのが、このハルキウ外国語学校なのである。