沢村賞。その年の日本プロ野球で最も活躍した完投型先発投手を対象として贈られる栄誉ある特別賞だ。千葉ロッテマリーンズは残念ながらこれまで球団史上、いまだ受賞者がいない。近年、その可能性がもっとも高かったのは2007年の成瀬善久投手(現栃木ゴールデンブレーブス選手兼任投手総合コーチ)だろう。

 07年は24試合に先発をして16勝1敗。173回3分の1を投げて6完投、4完封。防御率1.82と抜群の成績を残した。沢村賞の受賞を巡ってライバルとして争ったのは当時、北海道日本ハムファイターズに在籍をしていたダルビッシュ有投手(現サンディエゴ・パドレス)。この年、26試合に先発をして15勝5敗。12完投、3完封。防御1.82。完投数こそ引き離されているが、勝ち星、勝率、完封数では勝っており、発表当日までどちらが受賞するか分からない状況となっていた。

2007年の成瀬善久 ©文藝春秋

 成瀬は落選の一報を移動中の新幹線の中で聞いている。ちょうど新幹線が浜名湖を通過した辺りだった。前日にテレビ番組の収録を行い、翌日は招集されていた日本代表合宿合流のため神戸に移動。沢村賞受賞となればメディア対応が発生するため、すでに予約されていた神戸のホテルの宴会場で記者会見という流れとなっていた。しかし、吉報が届くことはなかった。無数のフラッシュを浴びながら会見を行ったのはダルビッシュ。成瀬は悔しい気持ちは口にせず、合宿先のホテルにチェックインした。

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「惜しかったなあと思いますけど、仕方ないかなと思っていました。あの年はコントロールの精度が格段によくなっていた。春のキャンプの辺りからピッチングに手ごたえを持って臨んだシーズンでした」と振り返る。

「あの1球の悔しさがあったから…」

 ただ、悔やまれるのは唯一の敗戦となった6月9日、ベイスターズ(横浜スタジアム)との交流戦ではないだろうか。よく晴れたデーゲームだった。前日は16安打12得点でマリーンズ打線が爆発し大勝。えてして打線が爆発した翌試合は緊迫したゲームになることが多く、投げ合うことになる相手先発が、エースの三浦大輔(現ベイスターズ監督)でもあることから成瀬は「ロースコアの試合になる」と投手戦を覚悟してマウンドに向かった。かくしてゲームは、たった1球で決まり、これが07年、ただ一つの敗戦として記録された。

「覚えていますよ。真ん中高めストレートの釣り球。振ってくれたらラッキーという感じのボールを運ばれました」

 両軍無得点で迎えた4回二死二塁。打席に6番・吉村裕基。打球は右翼ポールに向かって高々と舞い上がった。

「風がレフトからライトに吹いていた。ボールが風に流されていた」と成瀬は当時の事を鮮明に覚えている。

 ホームランか、ファウルか。ギリギリまでなんともいえないような微妙な打球だった。一塁塁審は手を何度もグルグルと回すとベイスターズファンで埋まる右翼スタンドはドッと大歓声に包まれた。二死から先制を許す2ラン。結局、試合はこの2ランで決まる。0対2でマリーンズは敗れた。

 勝負の世界に「たられば」はない。ただ、もしこのベイスターズ戦で勝利しており、17勝0敗でシーズンを終えていればという想いは周囲から巻き起こった。そもそもリーグ優勝したファイターズと2位に終わったマリーンズの順位すらも分からない。ただ、成瀬本人はそれを笑って否定する。

「結果的にあのシーズン、1敗しかしなかったので、あの1敗がもったいなかったと周囲からは言われますが、自分はそう思っていません。野球はそういうもの。そんなに甘くはない。なによりも、あの負けがあったから結果的に16勝も出来たし、1敗しかしなかった。あの1球の悔しさがあったから、そのあと、気持ちを入れ直して引き締めて踏ん張ることが出来たのだと捉えています。あの1敗があったから、そのあと、勝てた」

 この交流戦の季節になるとどうしても思い出されたり、話題に上がる1敗。今はその1敗が人生において大事な1敗だったと思えている。人生は成功からではなく、失敗から多くを学び、成功へとつなげていくものだ。