通訳人が日本の司法制度を細かく説明
ある日、フィリピンの小さな島の出身者が日本で逮捕された。特殊外国語を話す部族の出身だ。呼ばれてきた通訳人は、被疑者と同じ島の出身で同じ部族。遠い親戚かもしれなかった。そのためなのか、日本という他国で起こした犯行に対して、悪いことは悪いと罪を認めて償いをさせたいという気持ちが通訳人には強かったらしい。
フィリピンの場合も、一部の者には人権に関する認識が低い。この被疑者もそうだった。弁護人選任権を伝えても、自分が悪いことをしたのに、日本国が弁護士をつけてくれるということが理解できなかった。自分は何か罠に嵌められるのではないか、そのまま死刑にされるのではないかと疑ったのだ。そんな被疑者に通訳人は諄々と説得した。
「国(フィリピン)と違って、日本では犯罪をやったからといって、いきなり首をちょんとはねられることはない。弁護士もつけることができるし、自分でつける費用がないなら、国がつけてくれる。弁護士はあなたが正直に白状すれば、裁判でも味方になってくれる。日本は民主主義国家だから、罪人の人権も守ろうとする。裁判で判決が出て、あなたが刑務所に入っても死刑になることはない。安心しなさい。やったのならやったと、本当のことを話しなさい」(B氏)
同じ部族の者が母語でそう話せば、被疑者も安心するという。通訳人はフィリピンの司法制度と日本の司法制度の違いを細かく説明した。この権利を上手く理解させないと、取り調べがうまく進まなくなる。被疑者も通訳人を信用しなくなり口を閉ざしてしまう。
取り調べは心理戦
「同じ部族だから文化も習慣も同じ。現地の事情もわかっている。相手の心の微妙な動きも読める。被疑者が自分を正当化しようと嘘を言うと、『あなたが言っていることは矛盾している。おかしい。きちんと説明しなさい』と、がんがん攻めて、供述を引き出した」と語るB氏は、「優秀な通訳人は、調べ官の言葉を正確に伝えるだけでなく、間や相槌なども表現し感情が伝わるよう通訳してくれる」という。
「例えば『こいつ、さっきこう言ったよな。何だ、このヤロー嘘ばかりついているな』と調べ官が怒れば、通訳人は机をバンバン叩いてでも、調べ官の意や感情を伝える。すると不思議なもので、被疑者の方から『あの通訳を呼んでくれ。あの人なら自分の真意が伝わるから』ということが起こる」(同前)
被疑者に通訳人は自分の味方だと思い込ませることができるのだ。
調べ官の言い方1つ、通訳人の訳し方1つで、被疑者の心のあり様が変わり、取り調べの内容が変わる経験を何度もしてきたというA氏。
取り調べは相手の心を見ながら行わなければならないのと同様、被疑者も調べ官や通訳人を見ているのだと語る。取り調べは心理戦なのだ。