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「HEY!HEY!HEY!」から「めちゃイケ」へ

大島 改めて入社後の経歴を聞きたいんだけど、明松が最初に配属されたのは「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」(以下、「HEY!HEY!HEY!」)だったよね?

明松 そう、最初は「HEY!HEY!HEY!」。研修で報道・情報・ドラマ・バラエティを回ったなかで、「ドラマは俺には合わんだろうなあ」「報道や情報もそんな興味ないなあ」「やっぱりバラエティがいいなあ」と思っていたから。

大島 95年頃の「HEY!HEY!HEY!」は、飛ぶ鳥を落とす勢いだった印象があるな。

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明松 スゴかった。番組が企画した浜田(雅功)さんと小室(哲哉)さんがコラボした「WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント」が出たばっかりで。あのシングル、200万枚超えたのよ。番組キッカケで「H Jungle with t」というユニットが出来て、番組の収録終わりにそのセット使ってディレクターがPVを監督するんだからね。実際に作品として世に出ると「うおー!」って思ったよ。

大島 本当にフジテレビの「いい時代」っていう感じだな。それで「HEY!HEY!HEY!」には何年いたの?

明松 2年半……3年目の「27時間テレビ」の後に異動を希望したんだ。もちろん「HEY!HEY!HEY!」は楽しかったんだけど、音楽番組という葛藤があったね。工夫して良い画を撮るっていうことに、俺はそんなに興味が湧かなかった。「音楽映像って、やっぱアーティストのもんじゃん!」って、思っちゃうから。それで、上に「お笑い番組に行かせてくれ」って言ったら、じゃあ「めちゃ×2イケてるッ!」(以下、「めちゃイケ」)だって。

大島 「めちゃイケ」との運命の出会いだな。

ガリタ食堂の栄養士・ガリタガリ子としてプロ野球ヤクルト対阪神戦の始球式を務めたことも

明松 そう。それが97年の秋。

大島 その時「めちゃイケ」はどういう状況だったの?

「ぐいぐい入っていくな!」緻密すぎる台本の凄さ

明松 96年に始まってちょうど1周年。スタッフルームに行って挨拶をしようとしたら、がらんどうで。ホワイトボードを見たら「大阪ドーム」って書いてある。岡村さんがジャニーズJr.としてSMAPライブに出演した日だった、たまたまね。で、ADさんの机を見たら、分厚い台本があって。パラパラめくったら、ト書きがものすごく丁寧で驚いた。

「ここはこういう設定」「このタイミングから立ち位置が逆転する。大事なポイントがこのブロック」ってワーッと書いてあって、スゲえ入念に……ゆっても“ノリ”であの空気感を出していると思っていたから「こんなに決まってたんだ!」っていう驚き。「ぜんぜん違うんだな」って思った。

 というのも、「HEY!HEY!HEY!」では、ダウンタウンさんの“地肩”で面白くなるトークを見てきたから。「芸人さんの領域には、制作ってあんまり入り込めないんだな」っていうことを思っていた俺からしたら「ぐいぐい入っていくな!」っていう衝撃の台本だったの。「うわぁ、やりてえ!」と思った。スタッフが誰もいなかったのに、ズッと座って読みふけった。「ああ、これはやりがいあるわあ」と思ったのが、97年の秋。

大島 実際にスタッフになったら、どうだった?