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明松 会議に出たら“長考”の時間がたくさんあった。みんなで闊達に意見がガンガン飛び交う瞬間ももちろんあるんだけど、「う~ん」ってやってる時間が長くて。「すごいな、こんだけ考えてるのか」っていう会議の長さとか。まあ、初めて触れるわけだよね。「HEY!HEY!HEY!」の会議とは違う、どよーんとした会議が、月曜の夜8時から翌朝まで続くという、その衝撃があったね。この場で皆で、知恵を出し合ってるんだなという。

「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズで1980年代に一世を風靡。「軽チャー路線」とも言われた

どよーんとした会議が、月曜夜8時から翌朝まで続く衝撃

大島 明松は若い頃から目立ってたと思うけど、番組にはすぐになじんだ?

明松 そうね……若手スタッフにあんまりゴリゴリの体育会系みたいなのがいなかったから、俺はこの体型も含めて、面白がられたかな。その頃、光浦(靖子)さんが河野(まさと)さんっていう俳優さんに告白する「河野少年愚連隊」っていう企画があって。その河野さんが、「そもそも女性が好きな人かどうかをチェックする」っていうことで、(片岡)飛鳥さんから「お前行け」みたいに言われて、俺がゲイの役で投入されたのよ。「めちゃイケ」に入ってわずか数カ月で。演者と一緒にロケをやるわけじゃん。ダウンタウンさんなんかは、2年半で二言三言しか喋れなかったから、演者と直接絡むっていうことも新鮮だったし。

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大島 じゃあ、割とはじめから出役候補だったんだ。

明松 そうそう。それが俺がテレビに出た最初。ハード目のゲイでね。

大島 もともとフジテレビのバラエティにはスター制作者がたくさんいたけど、我々が若手の頃って、片岡飛鳥さんと小松純也さんの2人は特別な存在っていう印象があったんだよね。その片岡さんの下についたわけじゃん? 業界ではよく言われるけど、片岡さんというのは、やっぱり狂気の才能というか、異才というか……。

片岡飛鳥の信じられない「記憶力」と「分析力」

明松 やっぱあんな人はいないよね(笑)。なんと言っても信じられない記憶力。「ドリフのナニナニさんが、なんとかをして振り向いたら、タライがドーンッと落ちる映像を探して」みたいな。「あるのかな、そんなん?」って思ったら本当にあって。どんな記憶力してんのかなって。

大島 昔のバラエティの細かい演出を覚えてる。

明松 そうそう、記憶力と、それを基にした分析力。まあ、俺はそこが一番スゴいと思うけど、“面白いの真理”を掴む部分。「何が面白くてこのシーンで笑うんだ?」という分析力がピカイチ。演出手法の引き出しの量もすごかったな。最後のほうは武器が入っている引き出しを開けて、以前使った演出を使うなんていうのは、もう興奮しなくなったって。開けたら空で「うわ! どうしよう!」っていう時のほうがワクワクして作れるから、「入ってない引き出しを開けたくなる」みたいなことを言っていて。「スゲえところまで行ったな」と。

1984年には年間売上高でキー局トップに。視聴率でもゴールデン・プライム・全日・ノンプライムでトップの「4冠王」を獲得した

大島 バラエティの突出した演出家のそういう能力って、天性のものっていう感じがするよね。

明松 あとはナレーション。飛鳥さんのナレーション力は、ケタ外れで凄かった。