業界を騒然とさせたフジテレビ社員大量退職のニュース。約100人が早期退職制度に手を挙げたことが報じられた。中にはフジテレビの黄金期を築いた有名社員や人気アナウンサーも含まれていた。
そのひとりが、明松功氏(51)だ。2018年に終了した土曜日の名物バラエティ「めちゃ×2イケてるッ!」のプロデューサーだった。恰幅のよさと独得のキャラクターで、自ら出演する“ガリタ食堂”などの人気コーナーも手掛けた、名物テレビマンだ。
フジの王道を歩んできた明松氏の退社は、テレビ業界の現状を象徴する“事件”と言える。明松氏はなぜ退社という決断をしたのか。映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」などで名高いドキュメンタリー監督の大島新氏が、明松氏に2時間のロングインタビューを敢行した。
大島氏もフジテレビOBで、明松氏と同期の95年入社。友人だからこそ聞ける、明松氏の本音に大島監督が迫った——。(前後編の後編。前編から読む)
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片岡飛鳥に相談すると「わかる。俺もそうだったから」
大島 営業に異動って、すごく大きな転機っていうか。それまでは制作畑に20年いたわけじゃない。明松はどう受け止めたの?(※2016年7月に明松氏は人事異動で営業へ)
明松 最初は受け止めきれなかった。これは人生で初めてなんだけど、目的もなく酒場に出てひたすら飲むぞ! っていうことで3日ぐらい飲んでたな。「こういうのって、サラリーマンっぽいな」と思いながら。気持ちに整理がつかなくて、飛鳥さんに相談して「会社を辞めようかと思ってるんですけど」と言ったら、「気持ちは分かる」と。飛鳥さんも一度バラエティを離れてコンテンツ開発の部署にいたことがあって、自分にその経験があるから「わかる。俺もそうだったから」って。だけど「辞めようと思ったらいつでも辞められるけど、コンテンツに行ったらそれはそれで勉強になった。これまで見られてない景色が見られたんだ」と。
「営業に行きたくないという気持ちは分かるし、切られたみたいな気持ちがあるのかもしれないけども、自分の幅を拡げるために、営業の現場を見るのは俺は良いと思う。あとは自分で決めな」みたいなことを言われて「じゃあ1回、違う景色を見ますね」ということで、そのタイミングで辞めることなく踏み止まった。
大島 2016年っていったら45歳か。いろいろ考えるよな。
明松「なんで」っていう説明が、バラエティからはなかったから。「俺ってそんなに使えない?」って思っちゃうみたいな。で、営業に行ったら行ったで「なぜお前を欲しいと言ったのか」っていう理由を言ってもらえたわけ。プロパーの営業マンっていうのは番組の話ができないから、テレビの作り方っていうのを局内外に伝えてほしいっていうことで。で、それによってスポンサー筋にフジテレビのファンを増やしたいんだと。それで、ぶっちゃけ言うと「お前の知名度がほしい」と。
「テレビ局の経済」がようやくわかった
大島 わかるわかる。俺がテレビ局の営業の上層部だったら「明松いいな」って思うよ。キャラがインパクトあるし(笑)。
明松 俺はなんやったら他の人よりも、楽勝で番組に貢献しているという自負があったので「なんで俺を切るんだろう?」っていう、懐疑というか不満があった。けど営業の人はちゃんとそこについて言ってくれて。だから「客寄せパンダだわ。最後は」っていうところも言ってくれたのが好きになって。
大島 正直な発言だな、「客寄せパンダ」っていうのは。
明松 そうそう。言ってくれたほうが楽だし。
大島 実際にもう、その時点でテレビの出演者として、ある種の著名人というか、そういう感じだったもんね。
明松 そう。だからちょうど、スポンサー企業の広報部長とかマーケティング部長みたいな人たちが、同世代とか少し下の年代で、「めちゃイケ見てました!」みたいな感じで。それはデカかったね。スッと入っていけた感じ。
大島 最初は嫌だったけど、すぐになじんだわけだ。
明松 営業の上の人も「バラエティの一線級の人間が営業に来るっていうことは今までになかったことだから、そういう人間が来たら営業にどういうことが起きるか? っていうことにチャレンジしてほしいんだ」と。で、「それが成功したらどんどんそういう交流が活性化されていくから、その成功例をお前に作ってほしい」みたいなことを言われて。
大島 いいこと言うねえ。
明松 それで俺はスッゴイやりやすくなって、見たことがなかった景色も見えて。「ああ、テレビ局ってこうやってお金をもらっていて、経済が回ってるんだ」って。スポンサーとテレビ局の関係性すら、バラエティ時代はあまり解ってなかったからね(笑)。
大島 ははは。バラエティの番組屋っていうのは、本当に職人集団だよね。世の中の仕組みとか、あまり見てないっていうか(笑)。それだけピュアにモノ作りをしてたっていうことだよな。
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“視聴率三冠王”という言葉がある。そのチャンネルの人気を測る大きな指標であり、民放にとってはCMの売り上げに直結する極めて重要な数字である。それだけに、各局はトップを目指して鎬を削る。フジテレビは80年代から90年代前半まで民放局の中で12年連続三冠王を記録。その後10年間日本テレビにその座を譲ったものの、2位をキープした。2004年に三冠王を奪還し、7年連続で王座に。しかし、2011年に日本テレビにその座を明け渡してからは、一度も三冠王を達成していない。それどころか、近年は3位や4位という、かつては考えられなかった順位が続いている。
私がフジテレビが「なんだかおかしいぞ」と感じ始めたのはいつ頃だっただろうか。2005年の、ライブドアによるニッポン放送買収騒動は、一つの転機だったような気がしている。ことの是非はさておき、攻めるホリエモンと守るフジテレビという構図の中、常に新しいことにチャレンジする若々しさが売りだったフジテレビが、「守旧派」のように見えてしまった。その頃から、古巣の仲間たちから「会社の雰囲気が良くない」といった話が聞かれるようになった。
もう一つの大きな転機は、2011年の東日本大震災だったと思う。震災以前と以後で、社会の空気は大きく変わった。フジテレビを象徴する名コピー「楽しくなければテレビじゃない」が、明らかに時代と合わなくなっていた。さらに、映像コンテンツの多様化が、じりじりとテレビ局の優位性を減じさせていく。