「あの番組を見て、私、自殺するのをやめた」
大島 コンプラも一言では言えないからな……報道や情報にしたって、例えば放送された後の取材対象者の人生をどう気遣うか? みたいな、ある意味正しいコンプラと、政権に対して忖度するような間違ったコンプラみたいな、そういうことも一緒くたになったりするからさ。そこはケースバイケースで、作り手がどこまで想像力を持って表現できるかっていうことだと思うんだよね。それについて、番組を作っていない人から「これはコンプラ的に大丈夫か?」みたいなことを言われると、お前が自分の頭で考えろ! って言いたくなる。
明松 2011年の震災の年に、27時間テレビをめちゃイケ班がやったんだけども、被災3県中継っていうことで、俺は宮城県の担当だったの。で、震災2カ月後ぐらいからロケハンをやり始めるんだけども、俺は宮城の沿岸を南から北に何週間もかけて歩いたわけ。被災した人たちを苛立たせないようにそーっと避難所に入って行って、喫煙所で「ライター貸してください」って、ちょっとずつ話を聞きながらロケハンをしてたんだけど、南三陸の避難所で初めて向こうから「あ! ガリタさんだ」って声をかけてもらえて。
で、その人たちから「4月のめちゃイケスペシャルを見て、震災後に初めて笑った」とか言われて幸せな気分に浸っていると、あるオバさんに「あの番組を見て、私、自殺するのをやめた」ってサラッと言われて。それでウワーッとなっちゃった。まさかの言葉に絶句して……それまでは視聴率を稼いでできるだけ多くの人に楽しんでもらうっていうのがバラエティの正義だと思っていたけども、その経験をしてからは、数字なんか取れなくてもあるカテゴリーの人たちに刺さる番組だったら放送した方が良い場合もあるんだって勉強になった。
大島 それはテレビマンとして得難い体験だな……。
コンプラ重視の空気への違和感
明松 もちろん社会的に「今、バラエティなんか撮ってる場合か」みたいな空気のなかで収録をしたんだよ。だから、コンプライアンスを守るっていうことは大事なんだけども、コンプラを過度に気にし過ぎて腕が縮こまって勝負できないっていう姿勢にもし制作チームがなっていたら、それはそれでスゴいマイナス。後々に暗い影を落とす。「その人、死んじゃうかもしれないんだよ」という思いがある。「だって聞いちゃったもん、俺」っていうのがある。
その過剰なコンプライアンスを気にすることと、そのオバさんが笑ってくれるテレビっていうのは比べものにならないぐらいこっちが大事なんだぞって。だから「お前ら聞いてないかもしれないけども、俺聞いちゃったから、笑わせないとダメなんだからね。お前はテレビの使命をどこまで理解してんのか知らないけども、俺は理解しているから俺の範疇でやらせてくれ」っていう。
大島 そういう思いもあったから、近年のコンプラ重視の空気への違和感があったんだ。
明松 だってねえ……番組を称える声なき声っていうのは、誰も評価しないから。で、ディスりは散々取り上げられて、表に出てくるけれども。番組を作っている当事者としては、声なき声っていうのを本当は聞いてほしいなあと思うね。
決断するまでにかかった「1カ月」
大島 しかし、明松には強い「フジテレビ愛」があると思うんだけど、残って自分なりに会社を変えたいとか、あるいは変えられるんじゃないかとか、そういうことは思わなかったの?
明松 うん……自分の欲を優先したかな。そこに関しては。そりゃあ残って微力ながら貢献したいとも思ったけど、自分が外に出て何ができるかチャレンジしたいっていう欲が勝っちゃったんで。
大島 ちなみに決断するまでにはどれぐらいの時間がかかった?
明松 1カ月。
大島 自分のなかで葛藤もあっただろうし、あるいは家族や仲良かった人に相談したりという時間だった?
明松 だんだん「これ戻ろうとしてないな」って気付くんだよね。最初に、4:6。辞めるのが4、残るのが6。4:6からもう5:5になって、6:4から7:3ぐらいになったら、「あれ、フジに残ろうとしてねえな!」って気付く。その瞬間に「やーめた」っていうことで。
大島 じゃあ、4:6から7:3に行くまでに、辞める理由のほうを探して足していった?
明松 残るという要素を足せなかった。そこはちょっと自分のわがままを通した感じがあって。自分の人生を考えたときに、ここから10年が、勝負の10年って思ってるなかで、会社に残って勝負するのと、外に出て勝負するんだったら、後者のほうが興奮する10年だなと思っちゃった。
お台場への思いは「あるある、ぜんぜんある」
大島 ちなみに明松にとって大きな存在の片岡さんとはどういう話を?
明松 飛鳥さんには年明けに、直接会って伝えた。「エンタメ周りと広告、あとは柄にもなく社会貢献を思いっきりしたいと思っているので、フジを辞めます」って話した。そしたら「最高じゃん!」って第一声で。「社会貢献、最高じゃん!」って。その時は、飛鳥さんはまだ悩んでいたみたいだったけどね。
大島 片岡さんも明松もものすごい時間と労力、熱意を捧げてきたお台場を去るわけじゃないですか。そこは色々と思うところがあるよね。
明松 あるある、ぜんぜんある。こういう選択をしたけども、ここまでの自分のキャリアについて一片の曇りもないし。最高だったし。こういう最高な仕事をさせてもらったことには感謝しかない。お給料もちゃんと貰えて。だからこういう形で外に出たけれども、お声がかかればフジテレビとももちろん仕事をしたいし。外部なりに言えることと、中のときに言えることとはちょっとニュアンスが変わると思うから、それをなんか厚かましく言っていきたいなと思ってる。それによってちょっとでもフジテレビがいいほうに向いてくれれば。意外とそっちのほうが効くんじゃないのかなっていう思いがあるから。生意気だけども。
大島 片岡さんや明松だけじゃなく、他にも第一線で活躍した人が結構やめたよね。おれが衝撃だったのは、数年前の話だけど、さっき名前が出た小松純也さんがNHKやTBSでヒット番組を作ってる(「チコちゃんに叱られる!」「人生最高レストラン」)ことを知って「え? なんでこんなことになってるの?」って。もしかしたら、そういう才能を会社が使い切れなくなったのかもしれないけど、「お台場は大丈夫かな?」って。