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「フジテレビ経営陣にはこうあってほしい」元“めちゃイケ”P明松功氏が同期の“なぜ君”大島新監督に告白した「本当の退社理由」

「フジテレビ経営陣にはこうあってほしい」元“めちゃイケ”P明松功氏が同期の“なぜ君”大島新監督に告白した「本当の退社理由」

なぜ君はフジテレビを辞めたのか 後編

2022/06/11
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テレビの地位がやっぱり落ちてきているんだな

大島 明松が営業に行った2016年、その辺りからフジテレビに限らず、地上波テレビっていうシステムがだんだん下がってきて。それは今も続いているわけだけども、そういうことを営業の現場でも目の当たりにすることはあったの? 単純に言えば広告費が下がったとか、スポンサーがなかなかつかない、とか。

明松 あるね。例えば「めちゃイケ」が絶好調だったときは、CMの全枠が売れて「待ち」が出るみたいな状況があったと。そういう過去の話を先輩から聞いて驚いた。

大島 「待ち」というのは、スポンサーがCM枠の「空き」を待ってるわけだね。

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明松 それだけ人気があると、どこか別の枠を買ってくれたら、空いた時にすぐに入れるよとか、そういう取引もできるわけ。「“まずは”で、どこかを買っておいたら整理券をもらえるよ」みたいな、そういう攻めの商いをするわけ。強くて絶好調のときには。視聴率も20%超が普通だったし。そうしたら皆が「めちゃイケほしいのに」とか言いながら、違う枠を買ったりして順番を待っている。

大島 すごい話だな……同じテレビマンでも、俺はぜんぜんそういう経験をしてないから。ドキュメンタリーって、視聴率はせいぜい6~7%で、それでも「よくがんばった!」みたいな世界なんで。

ガリタ食堂の栄養士・ガリタガリ子としてプロ野球ヤクルト対阪神戦の始球式を務めたことも

明松 そういう売り手市場というか、フジテレビの営業が強い時代にはそうだったんだけども、「今はそうじゃないから、どうしていこうか」ってなってた。SNSやネットメディアが強くなってきたので、セット売りというか、地上波の広告だけじゃなくて、「これもついてきます。SNSでこういう発信をします」とかっていう、地上波以外の力を借りたセールスをちょうどやり始めたタイミングだった。で、そういうことに触れると地上波テレビの地位がやっぱり落ちてきているんだなって思い知らされて。

 それは世の中の流れだからしょうがないし、受け止めるしかないんだけども。そんな背景もあって、各テレビ局の営業による大喜利合戦が始まるわけ。「スポンサーが喜ぶオマケって、どんなの?」って。「ウチは、他局が思いつかない素敵なセット販売をご用意しています」っていうアイディアを、各局の営業マンは代理店と一緒に考えるのよ。

大島 明松がそんなことをやってる姿は、ちょっと想像がつかないな。

 営業マンとしての明松は、制作者だった経験を生かして番組と広告を連動させた仕掛けを考案した。「突然コマーシャルドラマ」と銘打った、物語の中に広告が練り込まれた番組で、役者のセリフが突然ある瞬間から一定時間、広告的内容に変化するのだ。いわゆる「ステマ」とは異なり、番組冒頭から「どこで何のCMが入るのかもお楽しみください」と逆に言い切った。普段はスキップされがちなCMを見たいと思わせるギミックが話題となり、2018年のACC賞メディアクリエイティブ部門ブロンズ賞を受賞する。まる5年間「違う景色」を見ながら奮闘した明松は、2021年7月に古巣のバラエティに復帰した。ところが直後に、新型コロナウイルスに感染し、一時は重篤な状況に陥ったという。そしてその数カ月後に、早期退職者の募集が行われた。

大島 早期退職者募集の話は、人事から発表された?

明松 メールが……違うな、なんか早期退職者募集って、ネットニュースになっていた。

大島 先に?

明松 でも、パッとメール見たら直前に送られてきてた(笑)。

大島 じゃあ、もうすぐにネットニュースに。

明松 なっていた。俺が知ったのはネットニュース。

大島 それは社員への一斉メールということ?

明松 対象者だね。

大島 勤続10年以上で、50歳以上だっけ。明松はそのとき……。

明松 ちょうど50。

大島 それを見たときに「あ」と思ったんだ。

明松 うん、コロナが大きかったんだけどな。去年の夏にコロナにかかって入院して、一瞬だけど、生死をさまよう経験をしたことで、死生観が変わったというか。だから、いつ死ぬかわかんねえなみたいな、そういう思いがあって。もともといつかは独立したいという気持ちもあったので、渡りに船だなと思った。その前の7月に、5年ぶりにバラエティに戻っていて、マネタイズを考えてくれって言われたのね。営業の知見を活かしてお金を産む番組を企画開発してくださいという、そういう役割を去年の7月に言われて。

「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズで1980年代に一世を風靡。「軽チャー路線」とも言われた

「俺がまた社内を這いずり回らないとダメなの?」

大島 バラエティで、もうひと花咲かせようとは思わなかった?

明松 思ったけどね……マネタイズできそうな番組の企画書を持って編成に放送枠をもらいに行った時に「予算はどれだけ付くの?」ってなって、結局俺が、代理店に「この番組に興味あるお得意(スポンサー)います?」って相談するみたいな。結果、営業でやってたことと一緒じゃねえかっていう(笑)。

大島 なんのためにバラエティに戻ったのか。

明松 そうそう(笑)。「マネタイズするぞ」って、会社の方針をガチャッとギアチェンジしたはずなのに、社内各所を調整するインフラ部隊が存在してなくて、「あ、結局俺個人がまた社内を這いずり回らないとダメなの?」みたいなことに気付いて。新しいことをしないといけないと頭で解っていても、次に進む一歩を全員がお見合いをして踏み出せないっていう、いかにも今のフジテレビっぽい空気にやられた感じがあったな。

 フジテレビのことが好きだから、新しいマネタイズの成功例を量産したかったんだけど、なかなかうまくいかなかった。あとは、コンプラかな。叩かれるのが怖くて思い切った企画が通らない。

大島 これはフジテレビに限らずなんだけども、過度に先回りしたコンプラ重視っていうのがあるよね。

明松 勘違いして欲しくないんだけど、コンプラを否定する気はなくて。ただ、コンプラを気にしすぎる上が嫌だ、って正直思った。

大島 いやあ、そこの問題はあるよなあ。世の中全体に。

明松 俺がズッと思っていたことがあって、報道や情報はそりゃ守るよ、コンプラ。でもバラエティも一緒のルールなの? って。だって、報道や情報が向き合うのは「真実」、バラエティが向き合うのは「楽しさ」でしょ。なのに、両者が同じルールって、さすがに無理があるんじゃないのって俺はズッと思っているから。それがスゴい足かせになっているというか。