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映画初主演でハードな濡れ場、セミヌード写真集も…女優・田中美佐子が“超格差婚”に終止符を打つまで

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 7月13日放送の「秘密のケンミンSHOW極」に女優の田中美佐子(63)が出演。離婚公表後初のテレビ出演が話題になった。

「独身に戻ったことを『おかえり』といじられても、本人は『ただいま』と笑顔でした。吹っ切れたのか、そもそも天然なのか……」(テレビ局関係者)

若い頃は「欽ちゃん仕込み」の中年殺しという一面も Ⓒ時事通信

 島根県の隠岐の島で生まれた田中は短大に通いながら「劇団ひまわり」に入団。1981年に女優デビューし、翌年、「ダイアモンドは傷つかない」で堂々映画初主演。ヌードあり、濡れ場ありのハードな作品だった。

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「予備校教師と元教え子が不倫に陥るストーリー。日活ロマンポルノの名作を撮ってきた藤田敏八監督作品だけあって、エロス漂う内容でしたが、見事に演じ切りました」(映画ライター)

 83年にセミヌード写真集を発売し、歌手デビューまで果たす。

「破竹の勢いに見えていたのですが、やはりヌード先行の人気に嫌気が差したのか、一時期芸能活動を休止しています」(芸能記者)

デビュー間もない田中美佐子(1982年撮影) ©共同通信社

 そこに手を差し伸べたのはあの“大物”だった。

「所属事務所の先輩の萩本欽一が田中の才能を見抜き『あなたは女優をやってなさい』とアドバイス。自身の元マネージャーが経営する別の芸能事務所に移籍させました」(同前)

 萩本演出の舞台で場数を踏みながら、90年代には時代を代表する女優へ上り詰めた。そして人生の転機が訪れたのは95年。