その後、12月の学習院OBオーケストラの定期演奏会の前日の総練習に、殿下の出席のご予定が急遽中止になったので、殿下が他のことで予定されていた大事な総練習を欠席されるようなことはありませんでしたので、これはいよいよかなと感じました。その後わかったことですが、やはりその日に小和田さんが御所に出向いて、求婚をお受けになったのだそうです。
暮れも押し詰まった12月29日にもお出ましになり、朝の10時から夜の10時まで延々とご一緒に演奏をしていたのですが、その時は何もおっしゃいませんでした。もうその時は寸暇を惜しんで演奏しておりましたので、ゆっくりとお話しするということはありませんでした。そして年が明けてから、東宮御所に伺って殿下から冒頭のようにお話しをきいたという経緯でした。
ひとりの女性にまっすぐに進まれた
これまで拙宅に何度もお越しいただき、そこにさまざまなグループの方を無作為に呼んで、殿下と一緒に演奏してもらったこともありました。その中でもしご縁があって、自然な形の結びつきが芽生えればそれはそれで結構とは思っておりました。
殿下のご意志が特定の女性にハッキリ示されたり、殿下あるいは宮内庁から特別のご依頼でもあれば、ご仲介について出来うるかぎりのお役に立とうという気持ちではおりましたが、幸いにしてと言いますか、そういう出番は一度もありませんでした。
お妃選びがこれほど長引いてしまったのも、振り返ってみれば――自分のことでえらそうなことを言うつもりはまったくないのですが――殿下の周囲に余計な配慮をして女性を紹介したり、「このひとはいいですね」というように推薦したりというようなひとが多過ぎたからだというように思います。
というのも本当に殿下のことを思って行動するひとももちろんおられたわけですが、そうではなくて、「自分が紹介したひとがお妃になった」というようなことを吹聴したいようなひともいたようでしたからね。やはりわれわれでも、「あのひとはどうですか」「このひともお綺麗ですよ」といった話が周囲に溢れていたら、いろいろな女性に目移りしてしまうでしょう。そういったことが随分殿下のお気持ちを余計な方向に導いてしまったのではないか、というような気がしてなりません。
そこへいきますと、お妃選びの過程で、皇后さまの態度は終始一貫しておられました。お妃をお決めになるのは殿下ご本人であって、もし殿下がお決めになったならば、皇后さまはそのご決断を全面的にサポートしますという態度をお通しになった。やはりこれは皇后さまの皇太子殿下に対する本当の思いやりであったと思います。
いずれにしても最終的には、殿下がご自分のお気持ちを決めて、ひとりの女性にまっすぐに進まれたことを知って、なにより嬉しく思っております。
(初出:「文藝春秋」1993年3月号「皇太子殿下の結婚観」)
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