イスラーム過激派として世界の注目を集めた「イスラーム国」(IS)は、本拠地となるシリア・イラクでの敗戦が続いたことで2017年を通じて大きく影響力を減退させたものの、中東地域で続く紛争と混乱に終わりは見えそうにない。「アラブの春」後、中東地域の覇権を争うサウジアラビアとイランとの間の対立は、シリア、イエメン、イラク、レバノンなどの中東諸国に代理戦争というかたちで影を落としている。この両者の対立は中東の「新たな冷戦」とも呼ばれており、今後の中東地域の対立構造を基礎づけるものとなるだろう。
32歳のサウジ皇太子が強気の外交を続ける理由
こうしたなか、2017年6月、サウジアラビアで新たな皇太子が誕生した。81歳になるサルマーン国王の息子、ムハンマドである。父親の寵愛を受ける32歳のムハンマド皇太子は、伝統と年功序列が重んじられるサウジアラビアにおいて、若き改革者として台頭した。
石油に依存するサウジアラビア経済を変えるべく、「ビジョン2030」という野心的な行政・経済改革計画を発案し、最高責任者としてこれを推進している。豊富な石油資源を持ちながらも近年の人口爆発によって若年層の雇用問題を抱えるサウジアラビアにおいて、この改革計画は主に若者から強い支持を集めており、翻ってムハンマド皇太子の人気を高めることにつながっている。
さらに、国防大臣を兼務するムハンマド皇太子は、外交面でも強気の姿勢を崩さない。2015年3月にはイエメンへの軍事介入を決定し、親イランのフーシー派の掃討に乗り出したほか、2016年1月にはイランとの国交断絶、2017年6月にはカタルとの国交断絶を決断した。
サウジアラビア国内では、イランがイラク、シリア、イエメンにおいて影響力を増大させており、イランに包囲されつつあるという恐怖心が広がっている。カタルのように同じアラブ、湾岸諸国でありながら親イランの立場をとるような国もあり、徐々に不利になっていく状況を何とか打破しなければならないという焦りも募っていた。サウジ政府のこうした恐怖や焦りは、2010年代の初頭から積極的な軍事政策への転換というかたちで既に現れていたものの、ムハンマド皇太子の登場によりこの路線は完全に定着したと言えるだろう。
二人の「皇太子」の個人的な関係
ムハンマド皇太子の外交上の最大の功績は、トランプ政権に親サウジアラビアの立場を取らせることに成功したことである。サウジは伝統的に米国の同盟国だったが、オバマ政権はサウジがイラン恐怖症に悩まされていることには関心を示さず、むしろそのイランとの間で核合意を結ぶことに専心した。
選挙戦において同盟国の負担増を要求し、イスラーム過激派への敵意をむき出しにしていたトランプは、米大統領候補としてはサウジアラビアの本命ではなかったかもしれない。しかし、UAEと密接な関係にあると噂されるトランプ大統領の娘婿、ジャレッド・クシュナー大統領上級顧問を通じて、サウジはトランプ政権との強いパイプを築くことに成功する。その結果、2017年5月、トランプは米国の大統領の最初の外遊先としては史上初めてサウジアラビアを訪問し、これも史上最大規模となる1097億ドルの武器売却合意が二国間で結ばれたのである。
また、中東和平問題を担当する36歳のクシュナーは、10月末にサウジを秘密裏に4日間訪問し、同年代のムハンマド皇太子と朝から晩まで協議を続けたという(ワシントン・ポスト https://www.washingtonpost.com/opinions/global-opinions/the-saudi-crown-princes-risky-power-play/2017/11/05/4b12fcf0-c272-11e7-afe9-4f60b5a6c4a0_story.html)。米国とサウジアラビアの二人の「皇太子」の個人的な関係は、米・サウジ間の二国間関係に決定的な影響を及ぼしている。