東条英機から「いい子だね。しっかり勉強しなさい」
―― 先日、クイズ女王の石野まゆみさんにうかがったんですが、村田さんはその頃、東条英機に会われたことがあるとか。
村田 そう。まさに小学校5年生のとき。美唄は小さな町なんですけど、三井と三菱の鉱山を抱えているので急行は必ず止まるんです。それで春と秋にある旭川師団の演習で偉い人が来ると、駅に並んでお出迎えするわけですよ。あのときはちょうど私の前に電信柱というあだ名のすごくノッポな先生が立っていたの。そうしたら、東条さんが「君、どきたまえ。後ろの子が見えないから」と先生をどかして、「いい子だね。しっかり勉強しなさい」って頭をなでてくれたの。わらじ履きの子が多い田舎で、私、父親が外国から送ってくれる革靴履いたりしゃれた服着てましたから、目立っていたんでしょうね。それを石野さんに話したら、「東条英機って人を見る目がない」って言うから、「だから戦争に負けたんだよ」って私も言い通しました(笑)
―― 北海道にはいつまでいらっしゃったんですか。
村田 結婚するまでいました。22か23。忘れちゃった。東京に連れていってくれる人なら誰でもよかった。主人もよく言ってましたよ。「東京見物のついでに俺と結婚したことを、俺はよく知ってる」って。東京って本当に面白い。岩見沢高等女学校の大先輩、チョッちゃん(黒柳徹子さんのお母さん)にもお会いできたし、町内会長の竹下(正彦)さんに、義兄の阿南惟幾(陸軍大臣。終戦時に自決)さんの話を聞きたくて追いかけ回したり。
主人に感謝してるんです。クイズに出会わせてくれてありがとう
―― ご主人は、どんなお仕事をされていたんですか。
村田 外務省の役人でしたが、すぐ民間の会社に変わりました。どこでも上役とトラブって辞めるようなわからず屋。5か国語が話せたとかで、東京裁判では通訳もしてたらしいですよ。年が13違うので、主人は私を自分好みの理想の女性に教育しようと思ったらしいんです。『マイ・フェア・レディ』じゃあるまいし、「ヒギンズ教授か!」って突っ込んだことあります。結婚してすぐ英語とフランス語を習うために、アテネ・フランセに通わされたぐらいで。
―― ご主人の海外赴任先に同行されたりしたことは?
村田 それはありませんけど、主人のおかげでフランス語もかじれましたし、クイズもできた。北海道で大きな料亭も経営している魚屋さんにお嫁に行った同級生がいるんですけど、夜、本を読んでいるだけで「魚屋の女房にそんな教養が要るか」ってご主人に怒られるんですって。だから「布団をかぶって懐中電灯で本を読むのよ」って。せっかくお金持ちになっても、それじゃあんまりですよね。だからその点では、主人に感謝してるんです。クイズに出会わせてくれてありがとう。
構成=皆川秀
写真=杉山秀樹/文藝春秋
後編(http://bunshun.jp/articles/-/5490)につづく
むらた・えいこ/1930(昭和5)年、北海道美唄の生まれ。『タイムショック』『アタック25』『アップダウンクイズ』など数々のクイズ番組を優勝。「ホノルルクラブ」会長を務める。