2019年(1月~11月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。インタビュー部門の第3位は、こちら!(初公開日 2019年9月13日)。
* * *
“イケメンすぎる開成生”。今年で39回目を迎える『高校生クイズ』で2010年に優勝した、開成高校クイズ研究部・リーダーだった田村正資さん。クイズの実力もさることながら、イケメンすぎると一躍話題になりました。
現在は東大大学院で哲学を学ぶ田村さんに、『高校生クイズ』で一変した高校時代から9年間、いままで語られてこなかった「田村さんとクイズ」についてお聞きしました。(全2回/後編へ続く)
◆◆◆
「なんでそんな部活に入ったの?」と言われたクイズ研究部
――『高校生クイズ』で優勝した時以来、ロングインタビューはなかったそうですね。
田村 高校を卒業してから『頭脳王』などのクイズ番組に出る機会は少しだけあったんですが、インタビューを受けることは全然なくて。「いま、依頼が来るんだ」とちょっとびっくりしています。
――当時はクイズの実力に加えて、「イケメンすぎる田村くん」と話題でした。
田村 そもそも目立つことがあまり得意な性格ではないので、すごく恥ずかしかったですね。
――それだけ反響が大きかった『高校生クイズ』での優勝ですが、それ以降、クイズ界が盛り上がってきて、いまや大人気です。
田村 僕たちの開成高校チームが優勝したのはもう9年前の2010年。それまでの開成クイズ研究部は部員が10人もいない状態で、僕が入部を決めた時は「なんでそんな部活に入ったの?」と言われたくらい、日の目を見ない部活でした。それがいまや、「クイズ研究部」という部活があることがそんなに珍しいことじゃなくなって、『高校生クイズ』に一緒に出場した伊沢拓司は色んなメディアで活躍している。当時では全く考えられないことですね。
――そもそも田村さんがクイズに興味を持たれたのはいつなんですか?
田村 高校生の時ですね。公立中から開成高校に入学してきて、部活動をどこに決めようかな、と色んな部活紹介のブースを回っていたら、ボタンを押して「ピンポン!!」と鳴らしているクイズ研究部が目に入ったんです。なんか面白そうだったので、参加してみたら「もともとはインドの神様で、足の速い……」という問題が出て、とっさに目の前のボタンを押して「韋駄天」って答えていたんです。すると「ピンポンピンポーン!!!」と。それがすごく気持ち良かった。その感覚が忘れられなくて、クイズ研究部に入部することに決めました。
――初めてのクイズでいきなり勝っちゃうんですね。
田村 小さい頃から雑学には興味があったんです。当時から『トリビアの泉』とか『伊東家の食卓』のような雑学を扱う番組も多かったし、そこからさらに自分で本を買ってみたり、疑問に思ったことを調べたりしていて。多分、普通の人よりも知識に対する欲求みたいなものは強かったと思います。
「競技クイズでもっと強くなりたい」伊沢拓司との出会い
――開成高校クイズ研究部は強いですから、スパルタな部活だったんですか?
田村 全然そんなことないです(笑)。実際に部活の練習に来るのも半分いるかいないかくらいで。ゆるゆる集まって「クイズやろっか」って始まるんですけど、しばらく経ったら休憩がてらにカードゲームで遊びだしたり……。本当に緩かったですね。
――でもそこから『高校生クイズ』の優勝者が出るわけですもんね。
田村 開成高校のクイズ研究部は中学生も交じって活動しているんです。人数は少ないですが、年齢に関係なく色んな人がいて。そこで当時中学2年生だった伊沢拓司という男に初めて会うことになります。実は入部してから「競技クイズでもっと強くなりたい」と思ったのは、当時中学生だった伊沢の影響もあるんです。恥ずかしいからあんまり言いたくないんですけど(苦笑)。
――それは伊沢さんのプレーを見て?
田村 入部して初めて参加したのが県立船橋高校主催のクイズ大会でした。伊沢はそこでひと際異彩を放っていたんですよ。初参加だったのでしょうがないんですが、僕は全然勝てなくてすぐに見学する側にまわってしまいました。そんな中、当時中学2年生の伊沢は、同級生はおろか僕より年上の高校2、3年生ともクイズで渡り合っていて、すごいな、と。
――その頃から伊沢さんは相当な実力者だったんですね。
田村 慶応とか浦和とか、名だたるクイズ強豪校の人たちの追随を許さず、どんどん答えていく。それを見ていて、あれぐらい強くなれたらクイズがもっと楽しくなるんだろうな、と思いました。そこからクイズに打ち込むようになりましたね。