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「クイズのエリート、社会の落ちこぼれ」

―― クイズ番組では、どれぐらい優勝されているんですか。

村田 よくわからないんです。横浜のTVKの番組とか小さいものも合わせると。

―― 初優勝は?
 
村田 NHKの『ホントにホント?』かな。今60過ぎのメタボの長男が学生の頃だから、47か48歳ぐらいのときかと。

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タイムショックの司会・田宮二郎と 村田さん提供

―― ということは1977、78年ぐらいですね。村田さんがデビューされた頃と現在のクイズでは、問題の作りもだいぶ変わったと思いますが。

村田 違います、違います。昔は、『クイズグランプリ』あたりで、「野球は1チーム9人、ではサッカーは何人?」という牧歌的なのが問題としてまかり通ってましたし、クイズする人が今みたいに尊敬されませんもの。「クイズのエリート、社会の落ちこぼれ」という言葉もあったんですよ。なにせビデオがない時代ですから、クイズを見たいと思ったら家にいなくちゃならない。クイズ番組に夢中になってるクイズに強い人なんて、要はヒマ人ってことじゃないですか。子どもが2人いて、どこかに遊びに行くわけにもいかない私も、クイズに夢中になれるヒマ人でした(笑)。まぁあの時代は、女は働くものじゃないみたいな雰囲気でしたから。子離れしてからちょっとだけ働きましたけれども。

「よく新聞に文章を投稿してましたねえ。チラホラ、とってあるんだけど」

「宝石店経営」というウィキ情報の真相

―― ウィキペディアに宝石店経営者とありましたが、あれは違うんですか。

村田 経営者じゃないです。宝石屋のアルバイトですよ。ただ、テレビで顔を知られているおかげでムチャクチャ売れたんです。小さい会社で月に1000万売れたらいいというところ、私一人で、展示会で月に1000万以上売ってましたからね。年に何億ですよ。今もそれの引き続きで、月に何回か宝石屋さんに顔は出しますけど。

―― 宝石屋さんには何かご縁があったんですか。

村田 何もありませんよ。だけど、孫が生まれたとき息子の嫁が言ったそうですよ。「お母さんが子どもの面倒みてくれたら、私は仕事を続けられる」って。冗談言うなって(笑)。だいたい私ひとりっ子だから、子どもが苦手なんですよ。それで一念発起して、働くことを決めたんです。